えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『マイティ・ソー バトルロイヤル』における愛しのロキ様

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]

 


「マイティ・ソー バトルロイヤル」日本版本予告

marvel.disney.co.jp

 

面白かったし、最高だし、傑作!ってことでいいじゃないか。マイティ・ソー バトルロイヤル』。なので、今回は蛇足の気持ちで書きます。

 

笑った、笑った『ソー3』。しかし、ドラマはドがつくくらいのシリアスだ。流れは英雄談によくある「王の帰還」だし、背景にあるのは「国とは何か?王とは何か?」だ。

 

そして、今回の敵でありソーの姉でもあるヘラが暴くのは偉大なる父オーディンの意外な過去とアスガルド建立の真実。ギャグが無ければこれはマーベルでもルッソ兄弟と同じ路線でもある。

 

しかしルッソ兄弟と違って『ソー3』では、ちゃんと「希望」も描いているところ。それを担っているのが、あのロキ様なのだ。

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マイティ・ソー バトルロイヤル』予告より。

 

ここでは、この部分で感じた自分の考えを書いてみたいと思います。

 

 

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ここからはネタバレに なります。観ていない方にはおススメできません。

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『ラスト レピシ ~麒麟の舌の記憶~』の簡単で辛辣な感想

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

     ポスター画像

 

フィクションでお馴染みの手法であるマクガフィンといった概念は乱暴にいえば、主人公がある事柄に入ってゆく動機づけであり、その道具はなんだっていい。

 

言語学でいうイディオムは違う意味を繋いで別の意味を作り出す。熟語や慣用句がそれにあたる。

 

ラストレシピ〜麒麟の舌の記憶〜はマンガザ・シェフ』のような主人公が『ザ・シェフ』のエピソードのような体験する感動的な映画……と言いたいけれども、自分は白けてしまった。ちなみに原作があるが、そちらは読んでいない。

 

ここではその感情を書いてみたいと思います。

 

 

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『シンクロナイズドモンスター』はウルトラマンが出ないウルトラ怪獣かも

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]

 

シンクロナイズドモンスター予告

 twitter.com

 

 

シンクロナイズドモンスター』。ダメウーマンである主人公グロリアの再起を怪獣を使って描いたコメディだとは予想してはいたけど。それよりも重いモノをモチーフに出してきた。そして男にはとてもエグイ展開になる。 

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シンクロナイズドモンスター』予告より

ここでは、この映画の登場人物の一人、幼馴染のオスカーを焦点にして自分の考え(妄想)を書いてみたいと思います。

 

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ここからはネタバレになります。観ていない方にはおススメできません。

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『ブレードランナー 2049』の 歪で優しい「愛(AI)」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正訂正有]

 


映画『ブレードランナー 2049』予告

www.bladerunner2049.jp

 

 

こちらの続きになります。

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ブレードランナ』(以降、『ブレラン』と表記)の続編『ブレードランナー 2049』(以降、『2049』と表記)は切ない!につきる。

 

傑作!と断言できないのは。『ブレラン』で描かれたレプリカントの設定が『2049』では変更されているのだが、それが分かりずらいところ。だからレプリカントが反乱できない設定なのは冒頭の説明 ₋₋それと目の前で仲間が殺されているにも関わらず、ただ涙を流すラヴの描写で₋₋で何となく分かるのだが、やはりピンとこないから。一応それを前日談として説明している動画はある。↓ 


【『ブレードランナー 2049』の前日譚】「2036:ネクサス・ドーン」

 

しかし、こうゆうことは映画の中で描くべきであって上の動画を観ていない者にはただノイズにしかならない。前出した仲間の死を見ながら抵抗もできずに立っているラヴが他のシーンでは平然とレプリカントを倒しているし。Kの上司であるマム(ジョシ警部補)が事態の深刻さを憂いているのは滑稽にしか見えない。

 

そしてレプリカント設定の変更にともない『2049』は『ブレラン』と違って世界観が変わっている。簡単にいうと人間が極端に少なくなっている。この映画で活動するのはほとんどがレプリカントであって人間の影が薄い。もしかしたら人間として出演しているのはウォレスとガフしかいないのではないのか?この妙な世界観は、おそらくレプリカント古代ローマの奴隷のような設定にしてあるのからだろうが、これがまたピンとこない。原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の世界に近いといえばそうなのだけれども。

 

それでは「凡作?駄作?失敗作?」といえばそうでもない。これは『ブレラン』に感動したドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の強烈な「返歌(かえしうた)」ではないのか?そう、自分が感じるのは『デンジャラス・デイズ』でリドニー・スコット監督がストリーボードに描いたが結局は使わなかったオープニングが『2049』で使われているからだ。

 

そして、それはSFのテーマというよりも人にとって究極のテーマでもあり、あの『フランケンシュタイン』から、テレビアニメ『Re:CREATORS』までに連なるテーマを描いているから。「愛されたい」と。

 

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Re:CREATORSレクリエイターズ)』より

 

何故なら、愛されていないことは孤独に苛まれることであり、愛される。ということは自分がこの世に確かに存在した証明でもあるのだ        

 

 

今回はそれを踏まえて自分の考えを書いてみたいと思います。

 

 

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ここからはネタバレになります。観ていない方にはおススメできません。

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