えいざつき ~映画と世情と日常と~

何かの感想というよりも、それで思い出した事を書きます。映画、SFが多めです。そして、たまに妄想が暴走します。

<書評>『本多猪四郎 無冠の巨匠』を読んでみた。

出典を思い出せないのでブログ主の妄想と思ってもいいが、大島渚監督が世界中の映画祭を回った際にいつも聞かれたのが「イシロー・ホンダは健在か?」だったのを本書を読んで思い出した。本書でも本多監督への敬意をする人々が数多く出てくる。

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怪 獣&SFのジャンル映画の監督であると一般的には評価されている本多豬四郎は世界中の映画ファンに愛された存在だった。その影響いわゆるオタク世代の作り手たちに多大な影響を与えている。「ぬっと表れる感角(ゴジラ)」は『ジョーズ』(スティーブン・スピルバーグ)で表れている。「ゴジラになった人間(マタンゴ)」は『パンズ・ラビリンス』(ギレルモ・デル・トロ)で表れている。「新しい怪獣映画の話をしよう(大怪獣バラン)」はそれこそ『GODZILA』(ギャレス・エドワーズ)で表れていた。

そして、本書はそれまで注目されなかった本 多猪四郎の作家性についての分析と論評をしている訳だが、。

通読しての率直な感想は本多監督はやはり巨匠とは思えなかった。“ 巨匠 ”に付き物の偏執的なところが本多監督には感じられない。黒澤の過剰な情熱、溝口の過剰な粘り、小津の過剰な徹底、成瀬の過剰な視線、木下の過剰な冷徹、大島の過剰な怒りが感じられない。逆に真摯だ。

真摯というのは、対象に撮る際にカメラは大体が固定で、奇抜なカメラワークやカットやカット割りは無い。巨匠がそれをするのは受けを狙うためではなくて対象を鋭く捉えるためだ。そして、カメラを固定して撮影するのは巨匠以外の職業監督の通常のやり方である。だから個人的な考えをいえば……

その真摯さが普通ならイカモノ、ゲテモノと職業監督達が避けたがるジャンルに真正面に向き合い、それが化学的な変異をあたえ、多くのファンをつくる作品たちを残すことになったのかもしれない。そして、それが、その真摯さが、そのジャンルできたのは、やはり戦争が影を落としているのかもしれない。戦地での体験と帰ってきたときの連帯感や違和感が真摯さへの根拠になっているのかもしれない。

だから、本来なら映画史では埋没されかねない作品群が世界中のファンをつくることになった。イカモノ、ゲテモノといわれるジャンルに照らし出された “真摯” さにファンは魅了されたのかもしれない。


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