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えいざつき ~映画と世情と日常と~

主に映画の思い出について書きますが。基本は自分の思った事をつまり妄言を書きます。

<ネタバレ>『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を楽しく観る二つの要素とおまけ



観ていない人には信じられかもしなないが、30年ぶりの新作は暴力否定のヒューマンドラマであり、デートムービーであり、ファミリームービー(正し、15歳以上)ですらあるのだ。そして何より興奮することだ!


〇 少女

守護天使 - Wikipedia

シンドラーのリスト - Wikipedia


映画でマックスの心の中にフラッシュバックで浮かぶ少女がいる。一見すると「過去で救えなかった人々」の代表として感じられるかもしれないが、映画が進むにつれ、それは迷い立ち止まるマックスの背中を押すイメージとしてしめされる。塩の湖を突っ切ろうするフュリオサ達に少女がフラッシュバックしたマックスがイモータン・ジョーの砦にもどるのを提案したり、クライマックス中、軍団のひとりから放たれた矢がマックスに当たる瞬間に少女がフラッシュバックすることで助かることから少女はマックスの “理性” であり “優しさ” であり “純粋さ” であり “狂気以外の何か” を象徴するキャラが示される。このことから少女はマックスとっての守護天使の役割りであることがわかる。そしてこれは『シンドラーのリスト』でシンドラーの考えを変えた赤い服(映画はモノクロなのに赤く着色されている)の少女と同じであることもわかる。


〇 輸血袋
輸血用血液袋 - Weblio辞書 

映画でマックスにニュークスが「輸血袋 (blood bag)
」と呼ぶシーンがあるが、それが「兄弟 (brother)」と聞こえるように感じる。それをふまえてのラスト直前で死ぬ間際であるフュリオサにマックスが輸血しながら彼女に自分の名前を口にする。このシーンの意味はふたりが “心の兄弟” なる象徴的なシーンである。日本の任侠映画や中国の武画でいわれる、そしてヒップポップにスラングでもお馴染みの兄弟と同じ意味 “斬っても斬れない縁” がつくられる瞬間である。だからラストシーンでふたりだけのアイコンタクトのみで成り立つ “会話” が成立していることになるのだ。話が始まる前にすでに絶望を経験しているマックスと話の中で絶望を経験したフュリオサのみが共有できる “何か” が絆を生んだとも言い換えてよい。


おまけ : クレジットタイトル
タワーリング・インフェルノ - Wikipedia 

この映画のクレジットタイトルはトム・ハーディが左、シャーリーズ・セロンが右上 、というちょっと変わった出し方をしている。これは当時の二大スターだったスティーブ・マックィーンポール・ニューマンのタイトルを “どちらから” 出すのか問題を解決するために考えられたものだった。それが、この映画でも使われているということは今回の主役はマックスとフュリオサの二人と宣言しているということになる。今回の映画で不満を感じているファンはマックスの英雄談になっていないからだとは思うが、これはタイトルからそういっているので認めるしかないだろう。


ちなみにこの映画はアレクセイ・ゲルマン監督の『神々のたそがれ』と同じ内容(狂気の世界&主人公の立場)を真逆の描写で描いている。例えるなら……

『神々』がピケティの『21世紀の資本論』ならこれは『マンガでわかるピケティ』ぐらいの差だ。 





 
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