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えいざつき ~映画と世情と日常と~

主に映画の思い出について書きますが。基本は自分の思った事をつまり妄言を書きます。

<ネタバレ>『ブリッジ・オブ・スパイ』を楽しく観る二つの要素とおまけ

劇場公開 小ネタ
注:ここでは史実より映画に寄った書き込みになります。加筆有[敬称略]

ブリッジ・オブ・スパイ』を観ました。

 

ブリッジ・オブ・スパイ : 作品情報 - 映画.com 

もうスピルバーグは二代目フランク・キャプラを襲名しても良いと思える映画でした。
以下、気がついたことを書きます。



〇 冷戦

ヤルタ会談/ヤルタ協定/ヤルタ体制 - 世界史の窓 
ローゼンバーグ事件 - Wikipedia 
U-2撃墜事件 - Wikipedia
マッカーシズム - Wikipedia

冷戦がいつからはじまったかといえば、日本が戦争に負けてからだといえる。大戦後の世界秩序の話し合いがその後のかつての植民地とは違う領土の分割統治の概念が生まれたともいえる。歴史的には色々あるが冷戦はあくまでもヤルタ体制の「範囲内」での冷たい戦争だった。それは世界の破滅にブレーキをかけたのか、現在の混迷にアクセルをかけたのか。ブログ主にはよくわからないが、「直接には軍事行動を行なわない」以外では戦争状態だったことだけは確かだ。もっとも最初はアメリカ側が不利だった。少なくともアメリカと支援国のエリートとインテリはそう感じていた。恐ろしく大ざっぱにいえば支持者から「共産主義国は理想国家」と思われた時期でもある。だから「ソビエトのスパイはあなたの隣に住んでいる」みたいな広報をしている時期でもあった。主人公のドノバンが電車の人々から冷たい視線を受けるのは。そのような時期でもある。


〇 スパイ交換

罪刑法定主義 - Wikipedia 
降伏と捕虜 - Zorac歴史サイト 

観ている人にはピンとこないのは「どうしてアベル一人でパワーズとプライヤー二人を交換できるの?」かだろう。これにはアベルの階級が大佐でパワーズが大尉でプライヤーは民間人だというのを考えに入れる必要がある。映画の前半でドノバンがアベルを弁護をする際に使ったのは「犯罪者ではなく戦争捕虜として」だからだ。つまりスパイ行動を犯罪ではなく戦争と定義したのために「これは罪ではない、だから国際的な慣習で対処すべき」という道すじをつけた。そのためにアベル一人の価値がパワーズやプライヤー二人の価値と同等かそれ以上という捕虜交換のルールが「使えた」わけだ。後半のソビエト東ドイツの駄々をこねたような交渉の描写はドノバンの見立てたとおり「アベルの価値をさぐっている」のである。そしてドノバンはその価値を保証したともいえる。そのために交換されたアベルの祖国ソビエトでの保証も結果として得ることができた。


おまけ:逆光

情婦 (映画) - Wikipedia 
E.T. - Wikipedia

映画での印象深いのは光をつかった画作りだが、映画で背景に光をつかうのはたいていが “相手が何を考えているのか?” かの描写であり、それで有名なのはビリー・ワイルダー監督が『情婦』でつかった光だろう。ちなみにワイルダー監督はこの映画で少し捻ったつかい方をしており、相手との探りあいに深みが増している。
それと『ブリッジ・オブ・スパイ』では「不屈の人」の話をしたアベルとドノバンが同じ光を背景にするシーンがあるが、それはドノバンとアベルが同じ人間であるを “後光” として描写している。これはE.T.のラストでE.T.とエリオットが光の中に一緒にいることで “永遠の友達” と描写していることと一緒でもある。 



ちなみに現実はどうやら当時のCIAとFBIのスパイ戦の主導権争いが背景にあるらしい。だから、そこは映画のウソの感動として楽しむしかないが、今の時代、かつてのマッカーシーを連想させる人物や時代の雰囲気がなんとなく似ていることからスピルバーグがこの映画を撮った意図はなんとなくわかるはずだ。



 
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