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えいざつき ~映画と世情と日常と~

主に映画の思い出について書きますが。基本は自分の思った事をつまり妄言を書きます。

<ネタバレ>『白鯨との闘い』を楽しく観る二つの要素

劇場公開 小ネタ
[敬称略]

『白鯨との闘い』を観ました。

 

白鯨との闘い : 作品情報 - 映画.com

感想は後に書きますので以下は気がついたことをかきます。

 
捕鯨

鯨油 - Wikipedia
アメリカは何故、それほどまでに鯨油を欲したのか? - 慢性疲労症候群(CFS)患者のブログ 

『白鯨との闘い』の時代はアメリカがイギリスから独立して40年近くたっている。アメリカはかつて戦った国に鯨油を売ってイギリスの産業革命を支えた。それはアメリカにとっても好都合で鯨油はアメリカの主要輸出産物のひとつになり、その後の大国へ基礎固めのひとつになった。
また生息数の変化から鯨油を得るための捕鯨は沿岸から大西洋へ、そしてケ-プホーンから太平洋へと伸びていった経緯は資本主義の基盤のひとつである自由市場を根付かせたともいえる。クジラをとれるだけ捕るかが「金」に変わってしまったともいえる。
つまり、鯨油は近代に忘れてはならない重要なキーワードだ。これがなければ産業革命も「自由・平等・進歩」を表明する啓蒙主義も影響を受けかねないものなのだ。 何故なら使えるエネルギーが多くあるということはそれだけ人の活動に幅広さをあたえるからだ。現代に生きる自分達も無関係とはいえない。

【参考】『鯨と捕鯨の文化史』名古屋大学出版会


〇 漂流

ナサニエル・ホーソーン - Wikipedia 
原罪 - Wikipedia 
キリスト者の自由 - 世界史の窓

映画でメルビルが尊敬して、二カーソンが名を知っていた文豪にホーソーンがでてくるが、後の展開から「あれは伏線だったのか」かがわかるようになっている。何故ならホーソーンの作品の特徴は「人の原罪」を描いているからで、二カーソンの苦悩はもちろん後半のアレだ。キリスト教を信仰するものたちにとって「人として絶対やってはいけない」ことを生きるためにしたためである。
そして、無人島に漂流したチェイスにポラード船長が説教する「神に選ばれた人は他の動物をどうにしてもよい」みたいな発言はプロテスタントの発言だと思える。乱暴ないい方をすれば、彼等が行なった宗教改革は信仰を教会から「切り離す」ことだったからだ。つまりカソリックだと神→司祭(教会)→人だが、プロテスタントだと神→人になる。いやゆる万人司祭の考えである。「人間は万物の霊長」の原典ともいわれているものでもある。つまり、後半のアノ展開は「人もただの生きもの」だというメッセージでもある。だた『白鯨との闘い』では死期にあるマッコウクジラを -- ここはチェイスがクジラ捕りを辞める描写にもなっている -- みせることで「クジラもまた生きもの」である描写して。ひとつの “救いと許し” を描写してもいる。


感想は……

さすがロン・ハワード! 隙がまったくない見事な映画です! でもね、アレを観た後だと「アレが評価されたから原典のコレも映画にしましょう」なんて考えが透けてしょうがなかったです。やっぱりオスカー狙いがミエミエなんで、ノミネートされませんでしたけど。宗教を介在させたのも「わかりやすく」したつもりでしょうが、逆に普遍性を殺した結果に。もうそんな時代でもないんで。ただ、インパクトとしては弱いけど作品としては出来はかなり良いです。そうゆう意味では「惜しい」映画でした。






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