えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ネタバレ:『ガールズ&パンツァー 劇場版』&『ザ・ウォーク』脳内ポイズンべリー風レヴュー

注:ここでは『ガールズ&パンツァー 劇場版』を『ガルパン』として表記します。



ガールズ&パンツァー 劇場版 : 作品情報 - 映画.com 
ザ・ウォーク : 作品情報 - 映画.com 


今回のキーワード  --アクション映画のキモ--


ガルパンはいいぞガルパンはいいぞガルパンはいいぞガルパンはいいぞガルパンはいいぞ……」
「正気になれ!(パーン)」 
「(我にかえって)俺はいったい何を?」
「お前はガルパン』をみたら罹るガルパンおじさん症候群になりかけたんだ!
「やれやれ危なかったぜ」
「まったく……ネットで凄い評判だと聞いていたので観にいったら、美少女キャラでのスプラスティクアクションムービーだったなんて……だけど」
「……だけど?」
「 意外だけれど、他の一見さんのように俺もかなりに面白いと感じてしまった。どうしてだ?狐につままれたみたいだ」
「おそらくそれはハリウッドアクションをたくさん観てきた人たちに自然に刷り込まれたある “状況” が思い出されたからじゃないかな」
「ある “状況” って?」
「いわゆる “外し” もっとわかりやすくするなら “場違い感” かな」
「 “場違い感” ?」
例えるならトム・クルーズがビルからビルに跳びはねたり、トム・クルーズがドバイのタワーにへばり付いていたり、トム・クルーズが飛んでいる飛行機にへばり付いていたり……
「全部、トム・クルーズじゃないか!……あっ!!つまり “こんなところに人がいるはずが無い” という意味での “場違い感” か」 
「そう、または暴走している車の前にベビーカーを押している老婦人が横切ったり、カーチェイスで露店に車をぶつけて商品が車の上に散乱したり、団欒の家に車が突っ込んだりする、そうゆう “場違い感” こそアクション映画を楽しく観れる “隠し味” か。もしくは甘味を引き出すために “少量の塩” を入れるみたいなものか。サーカスで言うところの “クラウン” の役割だともいえる。それをトランプのカードを出すようにどこで出すのを工夫するのがハリウッドアクションを面白くみせている最大の特徴さ
「そういえば、お前は『ザ・ウォーク』はアクション映画だといっていたな」
「だって、そんなつくりになっていたじゃないか。綱渡りを始める前に謎の男を登場させたり、綱渡りが始ったら警官たちを登場させて右往左往させたり、主人公の綱渡りの緊張感を高めるためにそうしたとしか考えられないじゃないか。特に謎の男は事実だとしても使わなければいいことだし、それにザ・ウォーク』は自分語りの構成そのものが “場違い感” の要素にもなっている
「つまり『ガルパン』も『ザ・ウォーク』もその “場違い感” 使い方がうまかった。と?」
「そう、最高にうまかったと俺は考えている。『ガルパン』の後半の戦場は廃墟になったテーマパークだけど、そのために “戦車と観覧車” “戦車と西部劇” “戦車と迷路” “戦車とジェットコースター” “戦車と回転ブランコ” と、あれだけ “場違い感” が連続に決まると見事としかいいようがない。それに対して 『ザ・ウォーク』はさっきいったとおり&アクションだと観ている者に悟られない様に自分語りを挿入してスリリングの部分を押さえていて、もの凄く上手い。同じアクションの出し方でもカード配りだけでこんなにも換わってしまうのかとも思ったよ」
「まぁ、そもそも映画のアクションの概念は “スリルというリズムをどのように整える” だから、本質は同じでもリズムが違えば印象が違うのもあたりまえか」 
「そして、それを長く続けられたガルパン』と『ザ・ウォーク』はアクションをシンフォニックに描くことに成功した作品かもね。一見、派手なアクションが続くと思われているトランスフォーマーワイルドスピードもどこかで “一息” はついているし、両作は作り手の技能がいかに高いかを示していると思うよ」
「それじゃ、それを確かめるためにもう一回観るか」
「いや、もういいだろう」

 --二回目-- 

(同時に)「ガルパンはいいぞガルパンはいいぞガルパンはいいぞガルパンはいいぞ!ガルパ……(以下、エンドレス)」


注2:『マン・オン・ワイヤー』を観直したら『ザ・ウォーク』の謎の男は実在しなかったので取り消し線を引きました。誤解をあたえて申し訳ございませんでした。


 

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