えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

日本人は「楽しい」より「泣ける」が大好きな国民です。の駄文

[敬称略]

     
  

こんなものをみつけました。

『ガルパン』劇場版、『マッドマックス』、『オデッセイ』、『パシリム』。共通点はラブシーンがないこと! - togetter  

ブログ主もアクション映画ですが、そんな主張、というより愚痴を書きました。

「ガルパンはひどいぞ」の駄文 

端的にいえば「重要ならともかく本筋に無関係な要素を入れるのは、その本筋の邪魔をするから使うべきではない」です。

実はこの主張、1979の『季刊 映画宝庫NO.9』で映画評論家の故双葉十三郎が主張していたのと同じです。

eigahouko
 
双葉十三郎 - Wikipedia


引用すると。

そのつまらなさの根本原因は国民性にあると思う。虚構を楽しむよりせまい現実に執着する。日本映画のお客は泣くのがお好き、という定説は、観客層が変わった今日では通用しなくなったかもしれないが依然として短調的であることはたしかである。主題歌だって短調がやたら多い。
--中略--
短調的であることは<三倍泣けます>的作劇に結びつく。もっと広く言えば<人情>への執着である。監督も含めて制作側にこの執着があることが悲劇で、どんな性格の映画であろうとお構いなしにこれをおしこむ。たぶん欲張りなんだろうと思うが、見当ちがいの欲張りでしかない。たとえ波瀾万丈のサスペンス・アクションでもうじうじした人情場面を加えないと気がすまない。それが、なにをもたもたしてやがるんだ、という結果を生む。
--中略--
だいたい映画でもテレビでも日本のドラマを見る層は、ウソの面白さをたのしむ体質ではないらしい。すこぶるせまい視野でしか見ず、イマジネーションをはたらかせないですむ小さな目前の現実の中でもらい泣きするのが好きらしい。それに反応して、脚本家を含め製作者側も、あえてイマジネーションをひろげようともしない。

つまり現在まで、まったく変わっていない。だから、作り手側の本音はおそらく「そんな事はこちらはとっくに昔から知っているんだよ。でも、そんなものを作ってもヒットしないからしょうがないじゃないか!」だろう。

日本ではドラマの満足感をなによりも「楽しい」よりも「泣ける」で評価する。だからどんなジャンルにもとりあえず「泣ける」フリカケをかけてくる。口にあえば良いが、あわなければ吐き出すしかない。

どうしてそんな事になるのかといえば、ブログ主が思うに日本では「泣ける」をコミュニケーションのキーに使っているからだろう。それは日本人にとって性別、年代関係なしに誰でも使えるからだ。それじゃ、どうしてそうなったかといえば、色々とは考える事もあるけど正直よくピンとはこない。

ただ「泣ける」の方が心地よいのは確かだ。







 
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