えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ネタバレ有:『アイアムアヒーロー』脳内ポイズンベリー風レヴュー

ここでは題名を恣意的に表記します。[敬称略]


アイアムアヒーロー : 作品情報 - 映画.com 

今回のキーワード -- 純粋無垢の存在意義 --

 
「面白かったね『アイアムアヒーロー』」
ダニーボイルのゾンビのとジョージ・A・ロメロのゾンビがゴチャになっている感じはあるがな。まぁダニーのゾンビがペスト菌のイメージならジョージのゾンビはブードゥー教からきているけど、この映画のゾンビのイメージは良くわからない」
「だって、原作を読んでいないと判らないけどあれはゾンビじゃなくてZQNだし、それに映画は原作を知らなくても充分に楽しめるし、いいじゃないか」 
「まぁ、そうなんだけれど。大きな見せ場を前半とクライマックスに持ってきて英雄をヒーローにするためにおそらく原作の枝葉末節な部分はかなり削った感じがしたな。その結果が血みどろ肉塊なのにラストが大感動というゾンビ映画に似つかわしくないカタルシスというのが、ナントモ」 
「『ディーパンの戦い』と同じで溜めて溜めて最後に一気呵成にというアクション映画の王道パターンゾンビ映画に使うなんて上手いじゃない。それからみればジャンル映画の小さな括りだけど新しい」
「まぁ、そうだね」
「小道具の使い方も上手かった。 “トロフィー” “猟銃の許可証” “ロレックスの腕時計” が英雄の変化を上手く描写していたしハリウッド程の迫力はないけどスペクタクルもそれなりにあるし」
「……」
「お前、もしかしてこの映画ダメだめだったの?」
「いや、そうじゃない『アイアムアヒーロー』はとても面白いんだけどゾンビ映画ってノースターで低予算が基本だったのにこんなに予算をかけていいのかと疑問が抜けないんだ」
「それじゃこの映画は面白いけど、そこまでじゃないのかと」
「いや、一応そゆうのもある。さっきお前が熱っぽく語った、この映画の魅力 “ただの英雄が本当の英雄(ヒーロー)になる” についてちょっと語りたいところもあるし」
「それは?」
「……それは」
「……?」
(大声で)有村架純に赤ちゃんプレイをさせたことだ!
「…………おい、こら」
「いや、あわてるな。勘違いしているぞ。つまり半ZQN化させたことだ」 
赤ちゃんプレイって、何だよ!」
「だから、どうして英雄がヒーローになったのかを語るから落ち着け」
「……わかった。どうぞ」
「簡単に言うとだな、半ZQN化した比呂美は英雄にとって “純粋” そのものなんだよ。三人の名付親』って映画を知ってるだろ」 
「名作だし、アニメ『東京ゴッドファーザーズ』の元ネタや『第五惑星』の後半の元ネタだろう。それが、何?」
「ダメ人間の基本は社会から見放された者。だから、 それが一念奮起するにはどうすればいいのか。それはダメで汚れきった心を洗い流すものが必要だろ。そうして後に新たな自分が現われる
 「カソリックの洗礼の考え方だね。いわゆるリセットの考えともいえる。確かに『三人の名付親』も破滅が待っているにもかかわらず危険区域を越えて新たな自分に生まれ変わる話だし、わからない気もしなけど」
「けど?」
「半ZQN化した比呂美が赤ちゃんだという隠喩はどこからきた?そんな描写はあったか」
「あったじゃないか。富士のモール街に向かう英雄は途中どうやって比呂美と一緒にやってきた?」
「それは比呂美をカートに乗せて、あっ、なるほど、カートはベビーカーの代わりか
「そのとおり。あれで比呂美が赤ちゃんであることを主張しているんだよ
「つまり英雄がヒーローになるためには “彼を純粋に信じる” 存在が必要でそれがハッキリとわかるのが赤ちゃんで、そのための半ZQNの比呂美なわけか。“純粋” に洗い流された英雄が活躍するクライマックス流れもそうだし」
「少なくとも映画だとそうなるね」
「確かにラスボス前に「もうダメだ」気分に落ち込むときに比呂美の一言がなければその後の英雄の神懸かり的活躍も難しいから、その解釈も間違っていないな」
「でしょう。バブー
「……………」
「……どうした?」
「いや、今回は
あまりにも落ちがヒドイので」
「ですよねー」


 

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