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えいざつき ~映画と世情と日常と~

主に映画の思い出について書きますが。基本は自分の思った事をつまり妄言を書きます。

<ネタバレ>『スポットライト 世紀のスクープ』の二つの見所ポイント

ここでは事実より映画にそって展開します。[敬称略]

スポットライト 世紀のスクープ』を観ました。

  
スポットライト 世紀のスクープ : 作品情報 - 映画.com 


スポットライト 世紀のスクープ』は社会派映画で実録が売りだがブログ主にはこれは「仕事映画」だ。資料を集め、証言を集め、裏づけを取り、検討する。「世紀のスクープ」は実に地道で着実に発表される展開だ。そのせいでヒューマンドラマの部分が弱くなっているところもあるが、押し付けがましいプロフェショナル演出はないのが「やるべきことは何か」を静かに訴える。それが 『スポットライト 世紀のスクープ』なのだ

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オープン・ソース・インテリジェンス - Wikipedia 
相関関係と因果関係 - Wikipedia

映画でロビンソン達のスポットライトチームがボストンのカソリック教会で行なわれている児童の性的虐待がボストンだけではなく世界中のカソリック教会で過少性でも一過性でもなく普遍性と恒常性をもって行われている。つまり教会全体の犯罪である事実を知って愕然とするシーンがあるが、それを知るきっかけになるのはいくつかのキーワードに基づいた年鑑による移動の辞令から、というのは公式のデータとから「本質」を探りだす手法は諜報戦の基本で主流であるオープン・ソース・インテリジェンス、略してオシントと呼ばれるもので、性的虐待がシステムとして機能しているのを知ることになるのはそれをしている神父が辞令としていたキーワードで他を当てて「事の重大」さをつきとめた過程は科学・統計学における手法に似ている。いわゆる「相関関係にある」だ。もちろんこれにはまだ仮説であって「真実」ではない。だからロビンソンは旧知の弁護士から言質を取って多くの読者に「事の重大」さが一事例でななく、身近にありそれが大きいのにも関わらず組織として黙認されているのをインパクトをもって知らしめた。


ボストンとバロン局長

ボストン - Wikipedia
ヨハネによる福音書 第1章 

ブログ主にとってボストンとはボストン茶会事件でありボストン交響楽団の音楽監督にかつて日本人の小澤征爾が程度の知識しかないのでボストンでカソリックが生活に根付いている感覚を知ったのはこの映画からだが、(ニューヨーク)タイムズから出向したバロン局長「違和感」からの鶴の一声で神父の性的虐待をロビンソン達に指示をしたのはバロン局長がブログ主達と同じ「よそ者」であることは確かだ。そして「よそ者」が異なった視点を提示したことで、最初は「例外的なネタ」だと考えて取材していたスポットライトチームが進めているうちに「事の重大」さに気が付くという流れは「そこでしか生活していない」者という意味では誰にでもおこりえる現実だ。「慣れてしまうと実感しにくい」問題はクライマックスでのロビンソンの告白なのだが、それに対してのバロン局長の「闇の中を……」の口調はブログ主には(新訳聖書の)ヨハネ 福音書のもじりだと考えている。ロビンソン達の仕事を労い鼓舞するそれはバロン局長がユダヤ人であるのを考えに入れればドラマとして深い陰影をこの映画に与えている。


感想は……

「社会人はみんな観ろ!」です。この映画には理想の社会人が描かれているのがブログ主の率直な感想です。理想の上司。理想の上下関係。理想のチームワーク等々、社会人として「あるべき姿」が静かに観れるのがこの映画最大の「売り」ではないかと思うほどです。おかげで観終わった後、自分のダメ人間ぶりに我ながらゲンナリとした気分に襲われた訳ですが、それは自分が悪いのであって映画の出来とは関係ありません。そうゆう意味では自分は記者側ではなく神父側かもしれないと考えた映画でもありました。







 
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