えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

<ネタバレ?>『ヘイル、シーザー!』のどこが面白いのかを解説してみた。の駄文

[敬称略]

ヘイル、シーザー!』を観ました。
 
ヘイル、シーザー! : 作品情報 - 映画.com

もう気づこうよ。コーエン兄弟ジョージ・クルーニーが組んだら「まともな映画」になるはずはないって。

ヘイル、シーザー!』はかつてのキレは薄くなったもののやっぱり脱力系コメディ映画でした、マル。 で感想が終わりなんだが、同じタイプの『ロブスター』と同じで、中に細々と “仕込んで” きている。それの解説は映画ファンなら大体が察しがつくものなので、ここでは感想よりも個人的な雑感を書く。つまり……

アメリカ合衆国を倒すにはまずハリウッド映画を潰すことからはじめようっ てな話。

  簡単にいうとこうだ。

アメリカ合衆国の本流は思想ではなくて、すべてハリウッドが創ってきた。

ヘイル、シーザー!』で描かれるスタジオはハリウッドそのものだ。史劇、西部劇、ミュージカル、西部劇ミュージカルと50年代を彩ったジャンルがごった煮の形でポン、ポン、ポンと描写されている。

序盤でスタジオ内のトラブルを解決する、何でも屋が映画『ヘイル、シーザー!』での宗教トラブルを回避するために各宗派を集めて意見を集約するシーンがあるが、これがこの映画のテーマだといえる。

だからフレッド・アステアを連想させるミュージカルスタアがコミュニストでハリウッドテンのボスであっても、史劇、西部劇、ミュージカル、西部劇ミュージカルにコミュニストの思想が少しづつ混ざっていても、ハリウッドなら「さもありなん」で済まされる訳だ。

コミュニズムと宗教が何の矛盾もなくひとつになる事ができる場所がハリウッドなのだ。

魔都=ハリウッド なら何か魅惑を感じるが、実のところはただの「闇鍋」がハリウッドなのである。少なくとも『ヘイル、シーザー!』ではそう描かれている。

そしてそれが他国と比べて歴史が「足りない」アメリカ合衆国を影から支え、現在の大国にしてきたのがハリウッドともいえる。

何故ならそういった思想はハリウッド映画で「パッチをあてたり」「アップデートしたり」「バージョンアップできたり」する事ができるから。

ハリウッド映画こそがアメリカ合衆国の思想的なサロンを形成してきたともいえるかもしれない。

これは他国では難しい。何故なら他国では歴史に立脚した「道徳」が存在するから直そうにもそう簡単にはいかないから。道徳を直すのはその国の根幹を壊す可能性が大きい。一部の保守がこだわっているところもそこだ。

だが歴史の「足りない」アメリカ合衆国は違う。いつでも書き直しができる。例えば『ズートピア』がそうだ。あの映画は「正義のあり方」の新たなバージョンアップだといえる。

書き直しができる国家がアメリカ合衆国で、それが「強さの源」ならそれを倒す根本的な方法は軍事力よりもまずハリウッドを何とかしなければ永遠にあの国には勝てないのかも……









 
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