ここでは題名を恣意的に表記します。[加筆有][敬称略]
ここでは映画『怒り』について書きます。
怒り : 作品情報 - 映画.com
『怒り』は現代社会のマイノリティーに生きる人々のドラマで。感想は「けっこう満足した」。だけどドラマとしてのタイトルだけが不満で、何とかならなかったのかと考えていたのだけれど同じ考え人もいたらしくて、
怒り~沖縄問題とLGBTごった煮されても - 佐藤秀の徒然幻視録
やっぱり「そうだろうと」
そこで、ここではドラマではなくミステリーの視点で『怒り』について自分の考えを書いてみたい。特にあの「怒り」の文字の考えも書きたい。あの文字はミステリーの視点でこそ納得いくものだから。
==== まず……
ヒントその一:序盤で北見と何条の両刑事が犯人の部屋でみた一面の罵倒、嘲笑を書いた文字を一面に貼り付けられている様で、犯人と一緒にいた時間が短かったのは、千葉の愛子、東京の優馬、沖縄の辰哉の誰々だったか?
ヒントその二:テレビの公開捜査等々に映る整形後予想図をみて犯人を疑った人物は千葉の愛子(と洋平)、東京の優馬、沖縄の泉(と辰哉)、誰々だったか?
それを知っていればおのずと「犯人は誰か?」はクライマックスまでには解るようにはなってはいる。
「あいつがそうだったのかと」
そして壁に大きくかかれた「怒り」とは何か?
それは真犯人が殺人をする動機でもあるのだが、それも取調室での何条刑事と早川のやりとりから推測ができる。
それは被害者が犯人に対して優しい行為をしたから。そしてレイプ未遂までいった少女を救えず傍観してしまったから、つまり……
自分の無力さ惨めさを実感してしまったから。
それがあの殺人の動機であり、後半のあの大暴れの正体であり、あの「怒り」の意味でもある。