ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]
ISSの噴射スラスターが活躍する『ライフ』はそれだけでもうダニエル・エスピノーサ監督とスタッフにありがとう、ありがとう!言いたくなるくらい好きな映画だ。
しかし、それとは別に過去のホラー映画を思い起こされる場面があるのも確か。しかし、『ライフ』の恐怖は『エイリアン』や『遊星からの物体』よりも『アンドロメダ…』が自分の印象には近い。つまり『ジュラシック・パーク』の作家マイケル・クライトンが提唱したテクノスリラーの恐怖に近い。
ここでは自分が考えるホラー映画の定義で『ライフ』の恐怖について書いてみたいと思います。
こちらもお願いします。
ここからはネタバレになります。観ていない方にはおススメできません。
自分が考えるにホラー映画は三つのタイプに分けられる。
怨念:これは文字どおり『四谷怪談』や『アッシャー家の崩壊』でおなじみのモノだ。無念な思いを遂げることで恐怖を表現する。
未知:『クトゥルフ神話』はここだ。人間の知らない未知(理不尽)が恐怖を表現する。前出した『エイリアン』や『物体X』も、そして、『悪魔のいけにえ』もここに入る。いまやホラーの代表になった感さえある。
ゲーム:原型はミステリーの『そして誰もいなくなった』だろうが、『キューブ』で知られるようになったタイプだ。『ソウ』もここに入る。ポイントは観ている人にゲームの規則を提示すること。そうすることで登場人物が「選択」する「結果」を次の恐怖として表現する。
『ライフ』はゲームのタイプだ。舞台となるISSは知られているモノだし、モンスターであるカルビンも未知ではなく知られているモノで設定されている。粘菌コンピュータだ。
最初の登場が粘菌をイメージしているとおりカルビンの知性はあきらかにそれをモデルにしている。
しかも酸素がエネルギー変換であるところも人間と同じ。つまりゲームの規則は観る者に提示されている。だから、どのような「選択」をするかで、次の恐怖が決まる。
つまりこの映画の恐怖は「未知の存在に襲われる」ではなくてひとつの舞台設定で「どちらの存在が生き残るか?」を描いた恐怖なのだ。
それは登場人物のひとりであるヒューの台詞からも分かる。それが「テクノスリラーの恐怖に近い」感想でもある。
しかし、ゲームのタイプからすると『ライフ』にはひとつ大きなキズがある。偶然を2回してしまうというキズだ。オープニングとクライマックでの衝突でのアレだ。もちろん作り手もそれは分かっていて、だからデビットとミランダに「地球=シリアじゃない」の会話を与えて最後への布石をしたのだろうけれども、寓話で通用する怨念や未知ではなくゲームでそれをするとアンフェアな感は否定できない。そこさえクリアすれば傑作になったのにとは感じる。
そうゆう意味では「惜しい!」映画でもある。ISSとケルビンは自分の中のSF映画ファン心をかなりくすぐるんだけど……
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