えいざつき ~映画と世情と日常と~

何かの感想というよりも、それで思い出した事を書きます。映画、SFが多めです。そして、たまに妄想が暴走します。

『東京喰種トーキョーグール』のトーカちゃんはどうして可愛いのかを雑に語る

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][訂正有]

 


実写 東京喰種 映画 

tokyoghoul.jp 

 

東京喰種トーキョーグール』、原作も読んでいないし、アニメも観ていないので印象だけで感想をいうのなら、今回は「序章」だ。突っ込みたい所はあるが、それは野暮なのでドラマだけに絞ると、主人公であるカネキは人間とグールの間の半喰種になってしまったがために人間とグールのそれぞれの胸の内を知る立場として設定されている。だから展開は人間側にもグール側にも行かずに相対的な描き方をするのは分かる。少なくとも脚本ではそうなっている。

 

だけど、演出ではそうなってはいない。最初で大泉洋が演じる捜査官真戸の登場で監督は大泉洋の「ある事」を見逃してしまって、相対化に失敗している。そのためにドラマの緊張感が足りなくなっている。髪の毛の事ではない。

 

今回はそのことで自分の考えを書いてみたいと思います。

 

 

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ここからはネタバレになります。観ていない方にはおススメできません。

 

それに、私は瞬きをしない。瞬きをするとその役は弱く見えてしまう。(中略)おそらく多くの人々を面食らわせたに違いない。だがスクリーンでは、瞬きをしないことでその役は強く見えるのだ。映画館で見る時には、目は2メートルの長さにもなってしまうことをくれぐれもお忘れなく。

     マイケル・ケイン著 矢崎滋訳 『映画の演技』より

 

怪演という演技がある。その人がいるだけで、一瞬で「場が変わってしまう」雰囲気を作り出すことができる演技だ。最近だと『美しい星』で黒木を演じていた佐々木蔵之助がそれにあたる。彼の演技で『美しい星』はリリーフランキーが演じる大杉に対する人物として成立している。彼は瞬きをしていなかった。

 

それに比べて真戸を演じる大泉は最初の方でハッキリと瞬きををしてしまっている。そのために真戸はカネキに対する人間側の究極的なキャラとしては弱くなり「人間対グール」の対立が弱くなり、緊張感の持続が難しくなった。結果として相対化が弱くなった。

 

パートナーである亜門が瞬きをするのは構わない。彼は内面が描写されているから瞬きをしないのは逆に不自然だ。しかし、真戸は違う。彼に内面の描写がない限り、グールの敵として強固に設定されなければいけない。よって弱みを感じさせてはいけない。瞬きをしてはいけない。

 

ちょっとだけ突っ込んだことを書くと清水富美加が演じるトーカに親近感がわく瞬間、 --それはグール側に親近感をもつ瞬間でもある。-- は友達(人間)が肉じゃがをもって「あんてぃく」に訪ねてきたときに彼女が瞬きを見せたところからはじまる。瞬きををすることで「温かみ」を現すことができるともいえる。これ以降にトーカは瞬きをみせるようになるのだから。前半との違いで魅力的に見える。いわゆるギャップ萌え。

 

それにこの映画のキーは目だ。グールの感情をCGIの目で表現する以上、それ以外の目にも気を配ってほしかった。そうすればもっと締まった感じで終われたと思う。

 

 

 

  

映画の演技―映画を作る時の俳優の役割

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