ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]
面白かったし、最高だし、傑作!ってことでいいじゃないか。『マイティ・ソー バトルロイヤル』。なので、今回は蛇足の気持ちで書きます。
笑った、笑った『ソー3』。しかし、ドラマはドがつくくらいのシリアスだ。流れは英雄談によくある「王の帰還」だし、背景にあるのは「国とは何か?王とは何か?」だ。
そして、今回の敵でありソーの姉でもあるヘラが暴くのは偉大なる父オーディンの意外な過去とアスガルド建立の真実。ギャグが無ければこれはマーベルでもルッソ兄弟と同じ路線でもある。
しかしルッソ兄弟と違って『ソー3』では、ちゃんと「希望」も描いているところ。それを担っているのが、あのロキ様なのだ。
ここでは、この部分で感じた自分の考えを書いてみたいと思います。
こちらもお願いします。
ここからはネタバレに なります。観ていない方にはおススメできません。
「お前は『史記』などに書いてあることを信ずるのか」
山本周五郎 著 『彦左衛門外記』より
『マイティ・ソー ダーク・ワールド』のラストでオーディンとちゃっかり入れ替わったロキ様。兄のソーがいない間にアスガルドの人々に好印象を与えるために自分を悲劇の主人公に仕立てて銅像まで建てたり豪華な茶番劇で観劇する始末。
しかし、ヘラが暴いたそのアスガルド建立そのものが血に塗られた茶番であった。その根本が揺らいだときに現れるのがコーグ達の宇宙船でやって来たロキ様なのだ。民を救うときに見せたのはあの銅像と同じポーズ。そこでオーディンの台詞「アスガルドは場所ではない民だ」が重なればロキ様がしたのは「それがどうした、茶番上等!」だということだ。そこでこのテーマが「王に成るとはどうゆうことか?」が示される。すなわち正も邪も明と暗も一緒に飲み込むのが王だということをだ。
ちょっと外れて、別の側面からみれば『ソー3』でのロキ様は狡すっからい部分が協調して描かれていて笑いの成分が多い。しかし、狡すっからい部分こそが自分の一部でもあり庶民の暗い部分でもある。自分が生き残るにはそうしなければいけないからだ。
サポートとして描かれるのはスカージだ。彼も生き残るためにヘラに諂うが、最後にはアスガルドの民のためにお宝のデスとロイで反旗を翻して死んでゆく。
本題に戻すと。今まで清廉でありたいと考えていたソーはそれを認めなければならない。だから、最後でソーが(情の部分では認めていたが)今まで避けていたロキ様を傍に置くのはソーが自覚をもって王になった証でもある。清濁を併せて吞む王になった。わけだ。
笑いが多く、シリアスなドラマ展開である『マイティ・ソー バトルロイヤル』はソーが名実共にアスガルドの王になる結末で収束したともいえる。
マイティ・ソー バトルロイヤル (オリジナル・サウンドトラック)
- アーティスト: MARK MOTHERSBAUGH
- 出版社/メーカー: Hollywood Records
- 発売日: 2017/10/20
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