えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『DESTINY 鎌倉ものがたり』の厳しめな感想

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

ポスター画像

kamakura-movie.jp

 

DESTINY 鎌倉ものがたり』は漫画『三丁目の夕日』の原作者、西岸良平による原作の映画化である。鎌倉を舞台に幽霊と妖怪と年の離れた夫婦が織りなす日常と冒険をVFXを駆使してコミカルかつファンタジックに描いている。

 

 山崎貴監督作品はいつもそうだが。VFXを駆使したスペクタクルな作品づくりでヒット作、話題作を世に出しているのもイメージがある。そのために題材にVFXをどう絡めて作品としてつくるのかが映画ファンには透けて見えるところがある。だから、代表作の『ALWAYS 三丁目の夕日』はヒットしたものの現実味が感じられない「憧れとしての昭和」としての批判があることも確かだし、自分もそう感じる。そして監督の作品歴を眺めれば曖昧な言い方だが、作家としての個性やメッセージを表に出さずに観客の心に寄り添うドラマとして展開するから結末はすべて心地良い感じなのだ。個人としてはそこに違和感を感じる時がある。

 

鎌倉ものがたり』が『三丁目の夕日』や他の作品と違うのは、『鎌倉』が作品としてのリアリティの無さと、そこからくるふんわりさを一色夫婦に横切る妖怪の描写で最初から宣言しているところだ。「これはそうゆうドラマ」であると。だから夜中に堤真一ムロツヨシが怒鳴られようとも、気にすることではない。家に居る市川実日子にそれが聞こえるはずがない。ここは現(うつつ)と妖(あやかし)が交錯する場所なのだからこれでいいのだ!と。

 

そして、この映画の見所は意外にもVFXではなくて、役者なのだ。監督作品ではお馴染みの出演者も出てはいるが、なによりも軽妙な堺雅人の演技、フォトジェニックな魅力の高畑充希二人の主演を筆頭に脇を抑える安藤サクラが洒落っ気のある演技をしているし、何よりもわずかな出演である田中泯の演技といったら最高!というしかない。この飄々(ひょうひょう)としたこの掛け合いの妙で最後まで描ききったら、個人的には拍手喝采で、この映画は山崎監督のベストになっていた可能性もあったのだが、後半に -- 前半でちゃんと前振りはしてはいる -- なると、やっぱりVFXを駆使したスペクタクルがはじまるのだ。それが工夫の無いありきたりなサスペンスとアクションで、白けないまでもそんなに盛り上がらないし、せめてビジュアルに目新しさあればまだ魅せれるのだが、映るのはまるでジブリアニメで見たようなモノばかりなので新鮮さは感じられない。ある意味ルーティンワークのような感じさえする。「こうすれば観客は満足してくれる」という感じがして、それで前半の持ち味だった感覚が減ってしまっているのは残念だ。

 

 


「DESTINY 鎌倉ものがたり」予告

 

 

 

映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」オリジナル・サウンドトラック

映画「DESTINY 鎌倉ものがたり」オリジナル・サウンドトラック

 

  

 

 

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