えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『カンフー・ヨガ(吹替)』のしょうげきてきでかんたんなかんそう

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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kungfuyoga.jp

 

中国の考古学者であるジャックは同じくインドの考古学者であるアスミタから歴史に埋もれたある財宝を発掘してくれるように依頼される。ジャックは助手のシャオグヮンとヌォオミン、そしてかつて友人の息子で盗掘家であるジョーンズと共にインドの大富豪ランドルの追跡を避けながら財宝探しで世界中をまたにかける。

 

 この映画の裏テーマは台詞にもあるとおり習近平国家主席が提唱・推進している経済圏構想一帯一路(いったいいちろ)が背景にある。早い話が中国の国策に乗った映画だ。先に公開された同じジャッキー主演の『ドラゴン・ブレイド』の対になっているのが『カンフー・ヨガ』なのだ。

 

と、固いことを書いて置いてなんだが、観終わるとそんな事はどうでもよくなる。

 

大切なことは政治的な思惑とは別にジャッキーは本気で中国とインドの融和をこの映画でしようとしているところだ。予告でもあるようにカンフーとヨガの共通している「我を無くし、流れるままに身を任せる」をポイントとして立てて、我(欲)で行動するジョーンズ(中国)とランドル(インド)を批判というよりも窘めるように描いて、あのしょうげき的なラストへともってゆくのだから。

 

ジャッキー映画の売りといえば、コミカルな格闘シーンと一緒にあったのは代役ではなく自身の身を使っての極限的なアクションシーンだった。スター自身が危ないアクションを自らする流れは『リオの男』のジャン=ポール・ベルモンドから始まって現在はトム・クルーズでお馴染みのであるところをジャッキーも倣っていたからこそカンフースターから国際的なスターに躍り出ることができたともいえる。そしてそれがあるからこそドラマが多少おかしくても観客は映画を観た満足感を国境を越えて得ることができた。

 

しかし、ジャッキーの現在での年齢を考えると肉体を駆使したアクションは難しい。だが、アクションが無くても観客が満足感に浸れるのが『カンフー・ヨガ』のしょうげき的なあのシーンだ。キョトンとしてもポカーンとしても、少なくとも「何かスゴイ変なものを観た」感覚にはなるはずで「酷い!」と感じた人はほとんどいなかったはずだ。つまり本来ならジャッキー自身の極限的アクションになるであろうの代わりに現れたのがあのしょうげきのラストシーンだ。

 

これが、偶然なのか、それとも意図として出されたのかは分からない。しかし、ジャッキー映画だけでいうなら『プロジェクトA』以来のインパクトを感じてしまうのも確かなので、何だか次作も楽しみになってきたのが今のところの感想なのだ。

 

 


映画『カンフー・ヨガ』 本予告

 

  

 

永遠の少年―――ジャッキー・チェン自伝

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