えいざつき ~映画と世情と日常と~

何かの感想というよりも、それで思い出した事を書きます。映画、SFが多めです。そして、たまに妄想が暴走します。

『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』ネタバレスレスレの感想

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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pentagonpapers-movie.jp

 

ダニエル・エルズバーグが告発したベトナム政策決定過程に関する国防総省秘密文書をめぐる実話を映画化。ベトナム戦争の反対の気運が高まる中、ニューヨークタイムズは戦争の欺瞞が書かれていた文書を暴露する。先にスクープを取られたワシントンポストの編集主幹のベン・ブラッドリーはその文書の入手に奔走。あるきっかけでそれを手に入れることができたが、時のニクソン政権は記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求。新たに記事を掲載すれば、ワシントン・ポストも同じ目にあうことが危惧された。報道の自由か、それとも経営か、掲載の決定は亡き夫に代わり発行人・社主に就任していた未亡人キャサリン・グラハムに託される。

 

個人的にダニエル・エルズバーグとペンタゴン・ペーパーズの暴露を知ったのは昔NHKで放送された『ヒーローたちの20世紀』だった。エルズバーグは今でいうエドワード・スノーデンにあたる人物だったのだ。それくらいペンタゴン・ペーパーズ事件はアメリカ現代史ではポピュラーな事件だ。

 

ちなみに映画では描かれなかったが、エルズバーグだけではなくランド研究所の元同僚のアンソニー・ルッソという協力者 -- imdbトリビアによると文書をコピーした場所はルッソの恋人が設立した広告代理店で行われている。-- も存在した。

 

そのポピュラーな事件をスピルバーグ監督はスリラーとして演出した。基になっているのはもちろんアラン・J・バクラ監督大統領の陰謀だろうが、物語の本筋は「真実を暴く」ではなく「報道対権力」なのでドラマとしての視点はトム・ハンクス演じるベン・ブラッドリーよりもメリル・ストリープが演じるキャサリン・グラハムにある。これは彼女の葛藤を描いたドラマだ。

 

キャサリン登場のシーンは彼女が何も知らない女性がそのまま歳を重ねた人を印象づけるところから始まるし、ブラッドリーとの会食のシーンでは不自然にならない程度に座る位置をずらして、さらに会話でブラッドリーもキャサリンを「下に見ている」のだと印象づけている。つまり「ナメられて」いる。

 

しかし、映画の中では意外にもエルズバーグが文書を暴露しようとした真意「嘘で若者が前線で死んでいっているのを止める」に呼応し受け止めたのはキャサリンなのだ。重役は経営の保身を図っているし、ブラッドリーも、いわゆる記者の性で業の「スクープ取り」に躍起になっている。妻に指摘されて初めてこのスクープの「重さ」を理解するのだから。だからキャサリンがブラッドリーに問いかける「この報道で前線の兵士に被害は及ばないのか?」の台詞はエルズバーグの台詞と合わせ細工のように合致する。もちろんそれはキャサリンが母親でもあるからだが、それが結果として若者。つまり「未来」を指す意味にもなっており「報道の自由」とは未来をより良くするためのものであるとメッセージを送っている形にもなっている。

 

別の意味ではキャサリンという女性の自立をも描いている。だからこれはスピルバーグ監督にとってはカラーパープル以来の女性映画の側面も強くもっている。

 

個人的にはこの映画が失敗作になるはずはないとは思っていた。監督デビュー作続・激突!/カージャックですでに老練な腕をみせているし、この映画よりも難しい収容所生活の厳しさと零戦への憧憬を描いた太陽の帝国や地味な政治の根回しを描いたリンカーンも撮っているからでもあるが、ここまでスラスラと魅せられてしまうとクリント・イーストウッド監督とはまた違う凄みさえ感じてしまう。

 

先に「報道の自由は未来をより良くするため」と書いたが、この映画『ペンタゴン・ペーパーズ』を政治や報道の題材にとらわれ過ぎない視点でみると、しがらみを断ち切り意見を示す意味から、これは「勇気」を描いたのでもあり「勇気を称賛」しているのだと自分は考えている。「勇気は未来を明るくする」のを描いたのがこの映画だ。

 


『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』予告編

 

 

  

ペンタゴン・ペーパーズ 「キャサリン・グラハム わが人生」より

ペンタゴン・ペーパーズ 「キャサリン・グラハム わが人生」より

 

 

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