えいざつき ~映画と世情と日常と~

何かの感想というよりも、それで思い出した事を書きます。映画、SFが多めです。そして、たまに妄想が暴走します。

『GODZILLA 決戦機動増殖都市』ネタバレ無しの雑感

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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godzilla-anime.com

 

初のアニメ映画として制作されたゴジラ映画三部作の二作目。前回GODZILLAによって地球を去った人類は二万年後に再び地球へと帰還しGODZILLAに戦いを挑むが、圧倒的なそのパワーに敗北する。絶望に打ちひしがれるハルオ達(人類・ビルサルド人・エクシフ人)はそこで人類の生き残りと遭遇した。自らを「フツワ」と呼んでいる彼らは、この過酷な世界でハルオ達が想像もできないGODZILLAとは違う存在と彼らが使う武器で生存し続けていたのだ。ビルサルド人はその武器がかつてGODZILLAと対抗するために作られた兵器の一部であることを確信して、ある提案をするのだが。

 

 今回は『GODZILLA 怪獣惑星』のおさらいをします。

eizatuki.hatenablog.com

 

今三部作のゴジラアースという設定は、生態系に存在する恒常性に着目して「大きな生命体」として捉える考え方であり、ガイア理論で一般的な認知を得ている。そこから巴啓祐の漫画『神の獣』からはじまるその設定はゴジラvsモスラでも抽象的に描かれていたし、ガメラ3 邪神覚醒でより具象化されてもいた。シン・ゴジラなどでは、より具体的に「極限微生物の集合体」として設定されているので、目新しいモノではないが、ゴジラアースは「その生命体のシステムには人間が入る余地はない」存在として描いたから強烈な印象が残った。だから、ガメラ2 レギオン襲来の台詞を借りるなら殲滅戦しか選択はない。

 

だから、今回の問いかけは「人とは何か」だ。

 

前回、脚本家の虚淵玄(うろぶち げん)は「自由意志を持つことが人である証拠であり。捨ててしまえば人ではない。それが虚淵イズムだ」と断定として書いたが、今作でそれを鮮明に打ち出してきた。もちろん、あの『増殖都市』のクライマックスのアレだ。対比として描かれるのはガルグ・エルベのビルサルド人の思想でもある「究極の合理性の果て」からの自由意志の放棄だ。ゴジラに勝って地球を取り戻すことではなく、ゴジラを倒して人としての誇りを取り戻す。という考えのハルオにとっては究極の選択でもある。ハルオの結論は作品そのものを観てもらうしかない。

 

そして、自分は「人とあのゴジラとの共存の可能性もあるかもしれないことだ」と書いたが、今作で新たな要素が二つ加わったことで違う方向になった。人気キャラであるアイツとアイツだ。それが、ひとつはフツワの民に、あと一つがエクシフ人に充てられている。エクシフ人のアイツが宗教でいうところの終末思想ならフツワの民が崇めるアイツは救済そのものなので三部作の最後はゴジラとの共存でなく、ハルマゲドンそのものもであり、ハルオとフツワを含む人はそれに巻き込まれる(試練の時)可能性が高い展開になる。しかしそれだとあまりにも殺伐と -- 個人としてはアリとは思う。-- しすぎるから、ハルオ達は人としての誇りを取り戻す。または、その兆しを描く。のだろう。虚淵が三部作の終わりを単純に千年王国として締めるとは考えられないので。

 

そこで、観終わった後に誰もが感じる疑問「これゴジラでやる必要がある?」だが、自分の考えはYES!だ。というよりも、おそらく日本でそんなことができるキャラクターはゴジラしかいない。ゴジラは1954年の登場から巨大なだけではなく熱光線を吐く設定がされている。そのために動物の延長であるモンスターのキングコングとは違う要素が入り組んだ怪獣という概念が誕生した。今回の三部作のようなことするのなら、観客に認知させるためには三作以外にも同一キャラで映画を作らなければいけない。そうしてこそ知識や情報ではなく感情レベルである「納得」までもって行かなければ、この目的は果たせない。-- それを一作で出来る演出力は最低でも黒澤明監督レベルの実力が必要。-- それを今、それをおこなって成功しつつあるのがマーベルユニバースアベンジャーズ/インフィニティ・ウォーなのからもそれは分かるはずだ。こんなことができるのはこれまでの蓄積があってからこその可能だからだ。

 

と、ここまで熱く書いてなんだが、単純に映画として語るなら、この作品は「面白味が無い」。『怪獣惑星』での「ラストの絶望感が凄い」だとか、今作の「クライマックでの盛り上がりが凄ご過ぎる」などの感想は結局は脚本の段取りが上手くいっただけで演出のお手柄ではないからだ。今作のアイツも観客やファンに「思っていたのとは違うけれど、これはこれでアリだな」と感じさせる演出力がこの両監督にはない。そもそも『インフィニティ・ウォー』なら観終わった後に「早く続きが観たい」気分にさせるのに対して今作だと「これ次で上手く収まるのか?」の気分にさせているのだから、この時点で秀作以下であることは間違いない。だから、三部作を締める最終作も作品そのものは「話のタネ」程度の評価しかない得ないのかもしれない。今はそんな感想だ。

 

でもまぁ、よほどのことが無い限り最終作も観ます。ファンの性です。

 


「GODZILLA 決戦機動増殖都市」予告編第2弾が公開! メカゴジラによる討伐作戦 高機動人型有人兵器も

 

  

   

 

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