えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『ワンダー 君は太陽』ネタバレ無しの感想

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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wonder-movie.jp

 

R・J・パラシオの児童書の映画化。普通の10歳のオギーは顔に生まれつきの障害はじめてをもつ子供だった。ずっと自宅学習をしていたオギーは小学5年生になってはじめて学校に通うことになる。はじめのうちは避けられていたが、クラスの何人かとも友達もできて、やがて彼の存在がクラスメイトを変え、また、彼を取り巻く全ての人々も変えてゆき、そしてしだいにオギー自身も変えてゆくことになる。

 

原作が児童書だけあって内容は「子供あるある」に満ちているのがこの映画だ。様々な視点で語られるが、どれか一つでも共感できる要素があるはず。だから予告の印象をもったままで観ると肩透かしをする可能性がある。

 

そして、邦題の太陽は台詞の「息子(サン)」と掛けたものと察することはすぐにできるが、なによりこれはオギーを中心にしたヴィア、ジャック、ミランダ、ジュリアン、そしてクラスメイトの物語でもある。四人とクラスメイトがオギーという太陽の光に照らされて、土で眠っていた何かが芽ぶくようになっている展開だ。しかし、光に照らされた部分以外は影でもある、これは皆が自身の影と対面する展開にもなっている。

 

しかし、大事なのはそれを影として認めれば、自分は変われる。成長できると主張している映画でもあるのだ。四人の中である子供だけが影を認めずにある行為をするが、最後にはその子もそれを影と認め -- トゥシュマン校長に謝っているところからもそれは分かる。 -- ているのだから。やはり変わり成長するだろう。また、太陽であるはずのオギー自身も自分の影(足元を見ていた)を認めて「自分が将来、何に成りたい」のかを決めるのだから、成長しているのだ。 

 

ただ、それらがちょっとお行儀が良すぎて、最終的な納め方といい、これをドラマといってよいのかは個人としては躊躇していまう。なんだか「ドラマのようなモノ」を観ている気分もある。

 

もっとも、これは大人が観るべきものではなく、むしろ子供にこそ観てほしいはずなので、だから、必ずしも感動する必要はなく、似たような出来事 -- なにせ「子供あるある」だ。-- に出会ったときにその効果を発揮する。「心へのワクチン注入」のための物語なのかもしれない。そんな感想だ。

 


映画『ワンダー 君は太陽』本予告編

 

 

Wonder/

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ワンダー Wonder

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もうひとつのワンダー

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