えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『ジュラシック・ワールド 炎の王国』ネタバレスレスレの感想

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

マイケル・クライトンの小説『ジュラシック・パーク』を基にした映画『ジュラシック・ワールド』の続編。前作で恐竜を封じ込めたイスラ・ヌブラル島に火山噴火で壊滅する兆候が見られ、それらを絶滅危惧種として助け出すべきかの議論が起こるが、聴講会での数学者マルコムの発言で政治は介入はしない結論になる。恐竜保護団体で働いていたクレアは消沈するが、そこに大富豪ロックウッドから恐竜の救出を依頼されて動物行動学研究者であり、かつての恋人でもあるオーウェンと共に再び島へと向かう。

 

いきなりだが、人類が恒常的だった貧困から脱することができたのは化学ではおなじみのハーバー・ボッシュ法のおかげだ。農作物を育てる肥料に必要な窒素の生成を自然に任せると人口増加で食料不足に陥るのに対してハーバー・ボッシュ法を使えば窒素を大量に生成できるので肥料の増産が可能になり、必然として人口増加でも食料の増産も可能になったからだ。

 

しかし、ハーバー・ボッシュ法は爆薬の原料である硝酸も大量に生成するのも可能にしたし、第一次世界大戦で使われた毒ガスの発明にも繋がり、戦争と世界をより複雑化させたのも歴史的な事実だ。核兵器のことは言うまでもないだろう。この映画だと遺伝子工学がそれになる。科学・技術の発達が急速過ぎると倫理的な規範が後手に回る。という現実だ。

 

つまり、人類は、一度手にした科学・技術を迅速に倫理的には扱えない歴史的事実があるのだ。

 

やっかいなことに、そうした行為は欲得だけではなく、功名心・好奇心にも繋がっているところもある。映画でイーライがオーウェンとクレアに反論し、覚えがある二人が言葉に詰まり、自問するのはそうゆうことだ。ゴジラ (1954)でオキシジェントデストロイヤーを発明した芹沢博士の苦悩と同じでもある。

 

しかし、それはあくまでも科学・技術を使う側の問題でしかない。しかし、今作では生まれた側、つまり恐竜側の視点が入っているのが新しいところだ。観終わると「アレの動きは伏線だったのか!」と納得できるシーンもちゃんとある。そうゆう意味では後半の舞台とも相まって、このシリーズの生みの親である、マイケル・クライトンの原作を超えて、原点であるメアリー・シェリーのフランケンシュタインへとテーマは回帰し、より深くなった。ドラマとしては最高によくできている。

 

できてはいるのだが、「パックリ」と同様(?)に今回も甘いセキュリティはこのシリーズのお約束として認めても、今作はいつものシリーズとは異色すぎる。前半はいつのも『ジュラシック』だが、後半は「ゴシック+恐竜」へと展開がチェンジするので、戸惑うのは確かだし、人によってはミスマッチにみえるだろう。しかも、あの締め方は猿の惑星を思い出させるので、「また、このパターンかよ!」に取られかねない。そして物語としては、ただ大風呂敷を広げただけで終わっているので、印象はマーベルのアベンジャーズ/インフィニティ・ウォーと同じだ。

 

ドラマは「最高!」、娯楽としては「どうよ⁉」が、個人としての感想だ。それより、今回広げた大風呂敷は次作で上手くたためるのか?それともゴジラ FINAL WARSみたいな、いきよい良くぶん投げた作品になるのか?

 

いいんですよ。どちらもドンとこい!です。

 


映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』日本独占!【最終予告】

 

 

Ost: Jurassic World: Fallen Ki

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フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)

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