えいざつき ~映画と世情と日常と~

何かの感想というよりも、それで思い出した事を書きます。映画、SFが多めです。そして、たまに妄想が暴走します。

『沖縄スパイ戦史』の内容とまったく関係なくもないかもしれない感想

はここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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1945年3月末から6月23日に戦闘が終了されたといわれる沖縄戦。日米合わせて20万人以上、沖縄県民の死者数も約12万人以上と推計されているこの戦闘は主に本島南部・中部を中心にして行われた。ここでは一般には知られていない本島北部と離島を中心にした、身分を隠して沖縄の各地に潜伏していた工作員養成機関「陸軍中野学校」出身者42人の工作活動を基に少年兵で編成された護郷隊と波照間島の戦争マラリアと北部での虐殺におかれた村民の証言で構成されたドキュメンタリーである。

 

ジャーナリスティックな視点が強いドキュメンタリーではある。

 

少年兵で構成された護郷隊・戦争マラリア沖縄本島北部の住民虐殺。そして現状の危うさ。前者二つは陸軍中野学校青年将校が関係しているが、後者の二つはそうではない。特に最後の一つは無理に繋げたか感があるし、人によってはこの蛇足ではないのかと感じる最後の挿話が実は最大のメッセージで示される。

 

正直、こうゆうドキュメンタリーではお馴染みの締め方ではあるのだが、今回は感想から離れて、それで個人的に感じたことを書いてみたい。ある概念を思い出したからだ、臣民(しんみん)だ。

 

雑に言うと臣民とは「立憲君主においては王とその親族の地位が保証されており、その下にいるのが国民」という概念だ。臣民は国家とその構成された世界に従属的でならなければならない。現在の国民主権とは相対する概念でもある。

 

ーー そして、これを押さえておくと片渕須直監督この世界の片隅に玉音放送のシーンもまた違った感覚として見えてくる。あのシーンは主人公のすずが怒ったあとに泣きじゃくる描写になるのだが、それは苦しい日々を生き抜いていただけだと思っていた自分もまた臣民として戦争に加担していたのを自覚するものでもあるからだ。--

 

念をおすと臣民そのものは悪い概念ではない。封建制から民主制へと橋渡し役をしてもいる。ただ古い概念だ。現在の社会状況に通用する概念でもないことも確かだ。

 

もちろん政治家や軍人を除けば昭和20年当時の庶民がそれを自覚して日々を暮らしていたなんて研究者でもない自分には分かるはずもなもないが、本国で唯一皇民化政策を行い臣民を育成していた沖縄で軍が戦闘に望んだのは本土への防壁としてのそれだし、行政側が受け入れた根本もそれがあったからであり、だから過剰に臣民としての振舞いを県民に対して国が要求した。それゆえに沖縄戦は悲惨な事実として歴史に残っている。

 

現在は臣民は文字こそなくなったが、概念は幽霊のごとく彷徨っている。一部の識者が唱える一見トンデモな意見もつきつめれば「臣民の復活」にほかならない。そんな中、どのようなリアルな軍事的・政治的判断であっても、それが幽霊と結びつけば沖縄戦の状況は容易に再現できるし、それが沖縄だけではなく他でも起こり得る懸念がつきまとう。

 

そんなモヤっとした感じになった。

 


『沖縄スパイ戦史』劇場予告篇

 

 

キネマ旬報 2018年8月下旬号 No.1787

キネマ旬報 2018年8月下旬号 No.1787

 

  

定本沖縄戦―地上戦の実相

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激動の昭和史 沖縄決戦

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