ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
南太平洋で日本の漁船が謎の生物に襲われて沈没した。国務省の調査に駆り出された、巨大生物の研究者のニック・タトプロスは、漁船にある傷跡から巨大化した生物がそれを行ったと判断。「核実験で新たな生物が誕生した」と仮説を立てた。数日後その生物はニューヨークに上陸。市民をパニックに陥れるが、それは人類滅亡への序曲に過ぎなかった。
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唐突だが、これから三作に渡ってのゴジラ話。一回目はエメゴジ。二回目はギャレゴジ。三回目はアンゴジ。それで今回はエメゴジこと『GODZILLA(1998)』から。
まず、この映画のために弁護しておかなければいけないが、どうしてゴジラの誕生がアメリカではなくフランスの核実験で誕生した設定にしたのかを説明しなければならない。アメリカの核爆発実験は1992年に終了して以降は過去の核爆発のデータを基にした爆発に至らない臨界前核実験へと研究を移行させているので、エメゴジの1998年で設定上での整合が合う核爆発実験はフランス・中国・インド・パキスタン・北朝鮮だからだ。そこからフランスを選択するのは諸所の起こり得る問題からすれば当然だろう。
しかし、それがゴジラファンからは、あのゴジラらしくには見えない造形と共に「これはゴジラじゃない」と認識させてもいる。そして「ゴジラを創る気が無い」との直感と反感も導いてもいる。
事実、画として表れているのはゴジラというよりもレイ・ハリーハウゼン特撮『原子怪獣現わる』や『水爆と深海の怪物』の影響が大きいのは一目瞭然だし、その系譜である『ジュラシック・パーク』も当然として引用されてもいる。唐突に何故か『ゴジラ (1984)』だけが引用されているが、これはアメリカでもヒットした、あのロジャー・コーマンが設立した配給会社ニューワールド・ピクチャーズ版のゴジラからだろう。
つまりエメリッヒ監督はゴジラに興味が無いのだ。
それなら虚心の目で、ゴジラの冠を取って怪獣映画として観たのならどうなのか?……ダメですなコリャ!
ぶっちゃけ、マグロ喰っている奴が殖え続けて何が怖いの?モンスターなら肉喰え!人を喰え!!だろが。
生態系云々とかの真面目な話で危機を煽るよりも、直接に観客の恐怖心を煽った方が、手っ取り早いし分かりやすいだろうが、何故ソレをしない?
実際、この映画は中盤まではそこそこ楽しめる。主演のマシュー・ブロデリックを筆頭に俳優陣は緊張感よりも間の抜けたコメディ演技をしているから「大都会ニューヨークを怪獣が駆け巡って大騒ぎ」的な展開で最終的には緩くて愉しい作りに出来たはずなのに、下手にシリアスな危機を入れたがために歪な失敗作になってしまった。
第一、ゴジラが殖える設定はどうみても平成ガメラ一作目『ガメラ 大怪獣空中決戦』のギャオスの設定のパクリ……もとい、インスパイアが分かり易すぎるだろうが。パク……インスパイヤするなら中途半端じゃなくて徹底的にしろ!
そうゆう事で、ゴジラ映画にもならず、かといって大予算B級怪獣映画にもなり損ねたのが、エメゴジなのである。
Godzilla (1998) - Original Trailer