えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『トイ・ストーリー4(吹替)』超々ネタバレギリギリで大友な雑感

お題「最近見た映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

 ピクサー・アニメーションの大ヒットシリーズ『トイ・ストーリー』の第4作。持ち主が大人になったアンディから女の子のボニーに代わり数年後。ウッディはボニーに遊ばれなくなっていた。そんなある日ボニーは幼稚園からの帰宅に自分が作ったおもちゃ、フォーキーを持ってくるが、本来はゴミであるフォーキーは何かとゴミ箱に戻りたがる。ウッディは何とかそれを防いでいたが、ボニーがキャンプ場に行く際にフォーキーは逃亡。その後を追いかけるウッディに思いもよらぬ再会が。

ジョシュ・クーリー監督

 

◆はじめに

この映画、タイトルは『トイ・ストーリー4』(以下、トイ4と略)なのだが、続きというよりも番外編といった趣きになっている。なぜならシリーズお約束オープニングのおもちゃで遊ぶシーンがない代わりにいきなり回想からはじまるし、バズの初期設定ギャグはないし、何より終わりを締めるのが主題歌「君はともだち」ではないのだ。

 

そして、ここで語られるのはこれまでシリーズで語り切れなかったことをやっている。もちろん、おもちゃとは何か?幸せとは何か?の物語はシリーズを通して観ればちゃんと見えてくる……

 

子供と一緒に遊ばれるのが、おもちゃであり、幸せ。なのだ。

 

だから、そうならなかったおもちゃはどうなるのか?が『トイ4』のドラマになる。 

 

今回も本筋には抵触しないようには心がけるが、ぶっちゃけどうしてもトイ・ストーリー(以下、トイ1と略)とトイ・ストーリー2(以下、トイ2と略)とトイ・ストーリー3(以下、トイ3と略)のネタバレに言及しないと論旨がどうにも進まないので、これらのシリーズはネタバレでいきます。

 

◆敵役の物語

『トイ3』の敵役だったロッツォ・ハグベアが冷酷な帝王になったのは持ち主に捨てられたと思ったからだった。

 

『トイ2』の敵役だったプロスペクターは傍役キャラだっウッディたがゆえに子供には相手にされず、唯一自分を必要としている博物館行にこだわりウッディを罠にかける。

 

二人に共通するのは、子供におもちゃとして愛されなかった事が共通している。そして『トイ4』の敵役は、それをより深く掘り下げたキャラとして登場する。「自分が愛されないのは不良品だから」の理由でウッディを付け狙うのだ。

 

方やウッディもかつてはアンディに遊ばれていたが、今はボニーには相手にされない。

 

つまり今回の敵役とロッツォとプロスペクターとウッディは同じラインに立ったことになる。だから子供に遊ばれない彼らをどのように救済するのかが中心になる。

 

『トイ3』までのウッディの活躍の理念にはアンディに愛されている。という自信があった。だから、仲間を助けた。しかし、もうアンディもいなし、ボニーには遊ばれないと感じればウッディの理念に揺らぎがでるのも当然だ。アンディがフォーキーにかまううのは自分の新たな存在理由を探している迷いでもある。

 

ちなみに、ウッディがボニーの相手にされなかった理由は一緒にいた幼児向けおもちゃから推測するにウッディも幼児向けと思われたからであり、それはボニーの成長を意味している。だからボニーは与えられるおもちゃではなくておもちゃを自分で作るのだ。次の段階へステップアップしたのだ。シリーズの進行上そうなったのだろうが、アンディが特別すぎただけで。子供とって成長することによっておもちゃが変わるのは当たり前なのだ。

 

そこでサポートとして描かれるのは、「子供と遊ぶ」おもちゃ本来の存在から切り離されたおもちゃだ。

 

◆ボー・ピープの物語

『トイ4』でウッディは離れ離れになったボーと再会する。すっかり様変わりしたその姿に思わずマッドマックス 怒りのデス・ロード』のフュリオサ大隊長かよ!とツッコミをしたくらいに変わった。

 

ここでのボーの役割は「子供に遊ばれなく(愛されなく)なっても、おもちゃは生きてゆける」だ。おもちゃのしがらみに縛られない生き方もある。を提示しているのが彼女だ。俗世から切り離されても楽しんで生きている意味で逸民(いつみん)と同じ存在になっている。これが女性キャラなのが現代的でもある。

 

そこでウッディは、今まで「家(子供)」という視点でしか見ていなかった感覚を変えて新しい視点を得ることになる。そしてこれは前述した「おもちゃの救済」にもつながる、いわば布石・伏線だ。

 

つまり『トイ4』でウッディは「家」で活躍するヒーローから、より大きな「世界」で活躍するヒーローとしてチェンジするのだ。ウッディは志願してそれをするのは、、おもちゃとしてのボランティア活動にほかならない。ボーとのロマンスは、その結末への誘う重要な要素になっている。

 

それは、仮にウッディとアンディが一緒にいても、やがて必ず訪れるであろう悲劇を回避する要素ももっている。

 

◆これは、あなたの物語

実は、これらのドラマは、必ずしも必要ではない。いわば蛇足といべきだろう。大人向きならばそうなる。

 

だが、このシリーズは子供向きの映画なのだ。

 

どんな子供もいつかはおもちゃ遊びを止める。それが成長することでもある。子供はおもちゃから卒業する日が必ずくるし、成長のためにはそうしなければいけないのだ。 

 

仮に『トイ3』でアンディとウッディが離れずに一緒にいても、アンディはおもちゃの幸せである「遊び」はできずに『トイ2』で否定された、飾るだけの存在になるのは必然だし、ウッディがそれを我慢しても、最終的にはアンディの死を見届ける悲劇は避けられない。そうなればもしかしたらウッディはロッツォとプロスペクター以上の絶望に堕ち入るかもしれない、それ見たいのか?

 

大人向けなら「(´・ω・`)知らんがな」で済む話を、子供向けであるトイ・ストーリーシリーズは、それに真摯に向き合い、出した結論が今作なのだ。まさに大団円!

 

そして、これは図らずも、もうひとりのアンディことのファンに向けてのメッセージにもなった。何しろ『トイ1』の1995年(日本は1996年)公開から24年も経っているのだ。当時は子供だった者も現在では30代くらいに位置する年齢になっている。それは子供の成長を見守ってきた親の心境とほぼ同じだ。だから、このシリーズを完全に畳むに相応しい終わり方をするにはこうしなければならなかったのかも知れない。そうしなければ、かつて子供だった現在のファンも『トイ2』のオタクと同じ様に、ただキャラを愛でる人になってしまうからだ。これもスタッフがシリーズと真摯に向き合った結果だろう。

 

「いや、それでも、面白くなかったぞ」という輩には確信をもってこう返せる。

 

貴方、このシリーズはそんなに好きじゃなかったんだよ!

 


Toy Story 4 | Official Trailer

 

 

Toy Story 4

Toy Story 4

 

  

トイ・ストーリー4 オリジナル・サウンドトラック

トイ・ストーリー4 オリジナル・サウンドトラック

 

 

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