えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

【ネタバレ有り(?)】スティーブン・キングの大復讐!『ドクター・スリープ』

お題「最近見た映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

スティーブン・キングの小説を原作に描いた傑作ホラー『シャイニング』。その映画化された40年後を描いた続編。展望ホテルでの惨劇を生き残り大人へと成長したダニーはトラウマを抱えて大人になってアルコール依存症となっていたが、ある事をきっかけにそれを克服し、終末医療のスタッフとなり患者からは「ドクター・スリープ」と名付けれるまでになっていた。そんな彼は特殊能力<シャイニング>で会話をする少女アブラと、その力を狙う謎の集団との戦いに身を挺してゆくことになる。

マイク・フラナガン監督

 

注意:できる限り内容への言及は避けますが、抵触しそうな可能性もあるので、純粋にこの映画を楽しみたい方には、ご遠慮くださるようお願いします。あと、空白の部分は反転してお読みください。

 

結論からいえば、面白かった!……のだけども。

 

のだけども。方は後で書くとして。今作はホラーではなくて、アクション映画だ。もうちょっと付け加えるとマンガ『ジョジョの奇妙な冒険』が好きなら、今作は結構に楽しめる。今作はホラーというよりも、サイキックアクションだ。そう、これも「SFホラーだった『エイリアン』が続編ではSFアクション『エイリアン2』になりました」ケースなのだ。

 

サイキックアクション映画なので、この面白さのキモは主人公側と悪役側の頭脳戦的な駆け引きの妙が中心となり、恐怖の部分は味付け程度だ。そうゆう意味ではダークファンタジーに位置する作品でもある。そしてハリウッド映画らしくクライマックスはOK牧場の決闘を思わせる西部劇のスタイルも抑えている。もちろん場所は、あの展望ホテルでだ。

 

ドラマとしては、あの事件以来、心の傷を植え付けられたダニーが、新たな強烈なシャイニングの持ち主であるアブラと知り合うことで、立ち直ってゆく筋書き -- クライマックスではホテル(悪霊)たちの住人となってしまったジャックと対峙して、ジャックから差し出されたウィスキーを拒絶することで、ダニーが完全に立ち直る描写がある -- になっているので、ある意味で感動作でもある。

 

のだけども、そのために今作では……

 

① ジャックとダニーの関係

② シャイニングと悪霊との関係

  

が、描かれる。勘の良い人なら気が付いたのだろうが、これは『2001年宇宙の旅』で「神の存在を否定した」無神論スタンリー・キューブリックの『シャイニング』での恐怖描写の根幹の否定だ。大否定だ!

 

キューブリックの『シャイニング』が、どうして怖かったのかといえば、ジャックがダニーを襲うのは、「気が狂ったからなのか?シャイニングの力なのか?それとも本当に悪霊に憑りつかれたのか?」かが分からないところであり、それがサスペンスになり、そうしたところが、この映画版の「得体の知れない恐怖」に繋がっている。それが、キューブリックの『シャイニング』の恐怖の源だ。そして、その部分が映画版『シャイニング』がホラーでありながらも名作として成立しているのに、それを『ドクター・スリープ』では①と②を描くことで、ことわざの「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の「枯れ尾花」の部分をあえて提示してキューブリックの『シャイニング』を矮小化させたのだ。

 

さらに念押しにとどめは……

 

③ 魂の存在と不滅を描いた

 

「えっホラーなのに、当然でしょ?」かもしれないが、①と②で書いたとおり、キューブリックの『シャイニング』は惨劇の内訳をあいまいにしたことでホラー映画として成立していた。なのに『ドクター・スリープ』では「死とは無に返ることではなくて、肉体を離れて別のステージへの移行」と解釈されている、このどどめの追加設定で、映画『シャイニング』の否定どころか、「神はいないのだから、魂なぞない、死んだら無に返る」の無神論者であったスタンリー・キューブリックの思想そのものを否定していることになる。

 

ちなみに今作で設定されているシャイニングは、魂の質として描かれている。終末医療の患者から、つまり普通の人から吐き出される魂は少量なのに対して、シャイニングの持ち主の魂の量は多く、しかも感情によって味も変わる。しかも、それをため込むことで熟成もする。ワインかよ!

 

こうした設定と展開になったのは、キングにとって『シャイニング』とはホラーの形を借りた親と子の悲劇のドラマだったのに対して、無神論キューブリックは「魂の実在をあいまいにすることで」ただのホラー映画を撮っただけ。そうみているキングの映画版『シャイニング』批判であり、キューブリックの思想への批判がありありと感じるのだ。 -- だから、原作者キングは映画版の氷づけのラストではなく、炎のラストにこだわる。炎とは悪しき魂を燃やす浄化の意味があるから。

 

その執念のすさまじさは、キューブリックの『シャイニング』を無視して、しれっと原作どおりに撮ってしまえばよいものを、あえて映画の要素を入れることで、結果として「映画と原作の和解」どころか、「原作が映画に喧嘩を仕掛けた」形になっているところからも分かる。

 

映画版『シャイニング』公開後、キューブリックに対して映画版の激しい批判をしたキングはキューブリックから「映画の批判はしない」を条件に映像化権を取り戻した。「だから、直接的な映画版の批判はしない」。「ただ、遠回しなら、それもできる」。それが、この『ドクター・スリープ』だ。

 

こうした変更がフラナガンからの提案なのか、それともキングからの提案なのかは分からないが、前者ならキューブリックを理解していないフラナガンをキングが利用した形になり、後者ならキングの要求にフラナガンが抵抗できなかったので、それに応じた形にもなってしまうになるだけで、どちらにせよ同じことだ。そして当然のごとく、この『ドクター・スリープ』はキューブリックへのリスペクトどころか、映画版『シャイニング』へのキングの復讐作となった。

 

それは、キューブリックがこの『ドクター・スリープ』を観ていたら、そう理解して、きっと激怒しただろうと確信できるほどにだ。

 

もっとも、キングの側に立てば、彼の気持ちも察せられるところがある。意のそぐわぬ形で映画化されて、それが名作として認められて、もてはやされる現実は我慢ができない気持ちだったのだろう。事実、後にテレビドラマ『シャイニング』の脚本を書いたのだから。原作どおりの映像化が原作の面白さを再現できていないパターンになっているとはいえ……。

 

そんな「知の人」キューブリックに対して「情の人」キングが40年ぶりに露わにした憎悪にあてられて、サイキックアクションでは面白く観た&映画版『シャイニング』が好きな自分の感情はこれにつきる……

 

どないせーっちゅうねん!?

 

殺伐とした締めもなんなので、ほっこりする話題をひとつ。レベッカ・ファーガソンが酷い目にあうのが三度の飯よりも大好きな人にはデリーシャスな瞬間があるので期待して💛。

  


STEPHEN KING'S DOCTOR SLEEP - Official Teaser Trailer [HD]

 

 

Stephen King's Doctor Sleep (Original Motion Picture Soundtrack)

Stephen King's Doctor Sleep (Original Motion Picture Soundtrack)

 

  

  

  

 

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