えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

【ネタバレ無(?)】キューブリックの幽霊奇談『シャイニング』

お題「どうしても言いたい!」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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スティーブン・キングのホラー小説をスタンリー・キューブリック監督が映画化。冬の間は豪雪で閉鎖されるホテルの管理人職を得た小説家志望のジャック・トランスは、妻のウェンディーと特殊能力<シャイニング>がある息子ダニーとともにホテルへやってくる。そのホテルでは、かつて精神に異常をきたした管理人が家族を惨殺するという事件が起きており、当初は何も気にしていなかったジャックも、ホテルから湧き上がってくる邪悪な意思に次第に飲みこまれていく

スタンリー・キューブリック監督

 

誤解を受けがちだがスタンリー・キューブリック監督作は難解といわれている。だが、彼の作品歴からみても、それは娯楽と通俗のジャンルに属する。しかし、それが難解と誤解されているのは彼が無神論者だからだ。

 

それを高らかに宣言した『2001年宇宙の旅』からキューブリックの作品はロマンチシズムやヒロイズム、センチメント等々から背を向けた描写で娯楽作を撮っている。そうした類は「高みの視点」つまり「神の視点」があったればこそ -- 別の言い方をすれば、所詮「他人事の視点」でもある -- 描かれたモノで、それを受けた当の本人が実際にそんな目にあってしまえば、「何が何やら」であり、判別するのは難しいからでもある。そのフォローとしての説明的な描写もしない。だから、娯楽作のはずなのに、どんな題材もキューブリックが撮ってしまうと妙に写実的になってしまう。まさに「無神論者の視点」だ。難解と誤解されている所以でもある。

 

そんな無神論者のキューブリックがゴーストストーリーを撮るなんて矛盾している。その経緯はやっぱり多くの人が指摘するとおり、『バリー・リンドン』での興行の失敗を挽回するために当時ムーブメントを起こしていたホラー(モダンホラー)に次回作の題材を求めたなのだろう。しかし、どうしてそこで選んだのがスティーブン・キングの『シャイニング』だったのか?今回はそれに対する自分の考えを書いておきたい。

 

ただし、これは考察といったものではない。『シャイニング』から自分が感じたキューブリックの演出を基にして映像に凝る映画監督スタンリー・キューブリックがどうして『シャイニング』を題材に選んだのかを推察(妄想)しているのに過ぎない。だから考察でよく語られる「ネイティブアメリカンの暗示」とか「ジャックは生れ変り」とかには言及しない。キューブリック自身は内心その設定はしていたのかもしれないが、無神論者である本当の目論見はそこにはないと自分は考えているからだ。

 

ちなみに『シャイニング』は143分と119分のふたつのバージョンがあって、その2種を観直したが、印象は変わらない。あえて違いを出せば143分は濃味。119分は薄味くらいしかない。

 

本題に入る。結論からいえば『シャイニング』での恐怖演出とは、その根本が、

 

①ジャックは本当に狂った?

②ジャックにもダニーと同じシャイニングがあってそれを使った?

③ジャックにホテルの悪霊が憑りついた?

 

以上の三つが判別しにくいところだ。さらに、それを具体的に書き出すと……

 

①ジャックはアルコール依存症で、ダニーに対して虐待をおこなったらしい。

②ジャックは迷路のミニチュアから実際に遊んでいるダニーとウェンディを見ていた。

③何の力もないウェンディがクライマックスでは悪霊たちを見た。

 

①と②は繋がりそうだが、それだと③は必要ない。①と③が繋がれば②は必要ない。と論理でみると①と②と③はぜったいに繋がらない矛盾した展開をあえてやっている。それを素直に意図として受け取れば、「不安と不穏にするためにあえてそれをやっている」。とみるしかない。もちろん、それは観客の感情を不安定にするためにだ。この映画での恐怖の根源はそこにあるといっても過言ではない。

 

どうして、そう断言できるかといえば、実はヒントしたと思われる作品があるからだ。『シャイニング』よりもかなり薄いが醸し出す雰囲気は似ている。それはブライアン・フォーブス監督『雨の午後の降霊祭』だ。

 

www.imdb.com

 

この映画はホラーではなくミステリー(サスペンス)なので、物語を核心を避けて説明すると、「ある夫婦が起こした犯罪に対する顛末を描いたもので、交霊術をなりわいにしている妻とその夫が、その交霊術を世に知らしめるために、富豪の娘を誘拐して、嘘の降霊会をひらくが……」なのだが、実はこの映画、今までサスペンスだったのにクライマックスでオカルトにシフトチェンジする。というミステリーでは有り得ない構成になっている。「サスペンスか?オカルトか?」の境界があいまいなヘンテコなのだ。それからくるどっちつかずな不安と不穏な感覚が『シャイニング』に似ている。というよりも、その感覚を濃厚に全編でやったのが『シャイニング』だともいえる。

 

キャラ造形も「狂ってゆく妻」と「それに怯えながらも従う脆弱な夫」の設定は『シャイニング』でのジャックとウェンディの男女のソレを反転させた感じだ。「幽霊を実態として出さずとも観客を不安と不穏な状態に落とし込む」これが、キューブリックがホラー映画としての題材に『シャイニング』を選んだ理由だろうと自分はみている。

 

しかし、告白すれば。『シャイニング』の演出は推察(妄想)できても、その原点らしきものが『雨の午後の降霊祭』だとは、最近まで考えたこともみなかった。自分も一回観たっきり忘れていた。ところが、マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』を読んでいたら、キューブリックがフォーブスの『雨の午後の降霊祭』を高く評価しているところを知って、どうやら『シャイニング』の原点はコレらしいのに気が付いたから確信をもって書いているだけだ。『雨の午後の降霊祭』での不安と不穏の雰囲気を『シャイニング』を使ってやれる。だろうと。

 

もちろん、そうゆう演出としての骨格だけではなく、これも誰もが指摘するとおり、撮影演出として移動しても画面が揺れないステディカムという機材を使って、クライマックスでの迷路へ導くかのようなスムーズな移動撮影を行って、観客に没入感を与えてゆく。

 

個人としてそれに付け加えるなら、ステディカムと巨大撮影施設エルストリースタジオを組み合わせることでヒッチコックなら特殊効果でしか表現できない水平線(平行線)の零点透視図法から、消失点が中央にある一点透視図法の切り替えを行うことで「奈落に堕ちる」感覚を作って観客の感情を揺さぶる演出をしている。

 

ヒッチコックの演出術についてはここに

eizatuki.hatenablog.com

 

もちろん、それだけではなく、要所に様々な工夫をして今にして名が残るホラー映画として認められているのが『シャイニング』なのだ。

 


The Shining - Official Trailer [1980] HD

 

 

  

2001:キューブリック、クラーク

2001:キューブリック、クラーク

 

 

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