注:ここでは『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』を『アベンジャーズ2』として『ターミネーター:新起動/ジェニシス』を『ターミネーター5』として記します。
『アベンジャーズ』と『ターミネーター』の共通の敵は人工知能だ。今や予算100億単位で作られるハリウッド映画は全世界で収入を上げないといけないから映画が公開できる国を相手を敵にするわけにはいけないし、さらに同時多発テロ以降の情勢の不安定化がアクション映画の敵を “範疇外” へと設定させているのかもしれない。そのほうが差し障り(という批判)が無いから。
しかし最近、人工知能(AIと略)が映画で描かれるようになったのはそれなりの話題があるからだ。
技術的特異点 - Wikipedia
つまり「人間がつくったものが人間を超えるのではないか?」の “恐怖” である。ブログ主的には、この “恐怖” には二つあって、まず映画で描かれるのは誰にでもわかる人類滅亡の恐怖だ。(二つ目は後述)
ちなみに電王戦のボンクラーズやクイズ番組でのワトソンは弱いAIに属するもので『アベンジャーズ』のウルトロンや『ターミネーター』のスカイネットの強いAI(というより強すぎるAI)にはまだまだおよばない。(まさに最弱のAI)
強いAIと弱いAI - Wikipedia
話を戻して。AIが人間を超えるのは技術的な問題と根本的な問題をクリアにしなければならない。
技術的な大きな問題は処理能力の問題。
人工知能の話題: フレーム問題 - 人工知能学会
そして根本的な問題は知能の定義の問題
知能 - Wikipedia
知能が何であるのかがわかっていない以上、方程式には書き換えないし、それができないならアリゴリズムを組むこともできないし、解析もできない。それらができないのなら、自分自身で進化させる方法なんてわかるわけがない。
差し当たっての技術的特異点での問題はそのときに産業革命のような(またはそれ以上の)社会の変容か改革のどちらか、または両方が起こるのは確実だという現実だろう。
人は誰でも自分にできないことを他人がしていると憧れをもつし、自分にできて他人ができないのには誇りをもつから。それがAIにあらかた行われるとどうなるか?
人間にとって憧れと誇りは倫理の根幹だ。だから……
そこで、二つ目の恐怖「人工知能は人のもつ尊厳を傷つける」というのを暗に刺激しているのかも。「人類滅亡」ではなく「人間性滅亡」だと。