えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

懐かしの『皇帝のいない八月』の思い出話

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]


懐かしい邦画『皇帝のいない八月』について書きます。


皇帝のいない八月 - Wikipedia 


  〇 背景


角川映画人間の証明』 のヒットで邦画界で大作ブームがおこる。『皇帝のいない八月』もそのムーブメントにのって製作された映画である。

監督は山本薩夫。『忍びの者』で名実と共に名を上げた。作風としては左派の立場から権力批判を娯楽として仕上げる監督である。代表作は『白い巨塔』『戦争と人間 三部作』 など。だから、この映画も基本はサスペンス。

今見直したら女性がレイプした男性に情が移るなど女性には受け入れが難しいところがあるが、当時としてはそれがドラマの定石として認められていたらしい。


思い出話

自分がこの映画を観たのはテレビ放送だったのだが、おそらくこれが自衛隊クーデターの初ものであり『機動警察パトレイバー2 the Movie』や『亡国のイージス』の原点かも。そしてどうしてか反乱モノは松竹が関わるという妙なオマケもある。

映画には二つのイメージが現われている。

一つ目は映画の中で渡瀬が演じるリーダーが主張するソレは誰もが想像できるとおり三島由紀夫の檄文を参考にして台詞を作っていて、これが渡瀬等のクーデターの目的となっている。簡単に言うと「なによりも魂を重視する」だ。「生きながら死ぬよりも、戦って死んで生きる」の考え方だ。

二つ目は佐分利信が演じる大畑剛造と滝沢修が演じる佐橋総理大臣の造形。これは前者が岸信介を主としたいわゆる独立重視の改憲派で後者が吉田茂吉田学校を主とした経済重視の護憲派なのは多少の知識をもっているものなら容易に想像できる。

『皇帝のいない八月』はこの二つのイメージで危機が構成されている。しかし、現実は二つは必ずしもイコールではなく現実には右派と一部の保守にはズレがあるのだが、当時から現在までの「今の状況が消えてしまうのではないのか?」と、いうリベラルと左派の恐怖の根源はここにあるのかもしれない。「もしかしたら保守と右派が連携するのではないの?」という恐怖だ。

もちろん山本薩夫は思想信条が左派だし、作品として『金環食』もあるので護憲派も善として描かれてはいない。原作どおりだが、悪人として描いている。


『皇帝のいない八月』はこれらが整理されておらず、しかもサスペンスとしても整合性がないので映画としてはイマイチな出来になってはいるが、そのために「ある恐怖のイメージ」を感じるものにはなってはいる。



 

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