注:ここでは名称を三部作は主人公で、シリーズ各作品を副題で表記します。[敬称略]
こちらの続きになります。
ネタバレ?:『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』脳内ポイズンベリー風レヴュー モヤモヤ編 - えいざつき ~映画と世情と日常と~
今回のキーワード - 同窓会ではない。新起動 -
「それで今後に期待のオレ」
「なんだよモヤモヤ感のオレ」
「モヤモヤついでにいうけど『フォースの覚醒』は『新たなる希望』をベースにして過去作のオマージュが満載なんだが」
「だが、何だ?」
「それが、ファンに媚びている感じかして」
「気持ちがスッキリしないか?だけどそれは横山三国志的にいうと孔明の罠だから」
「なんじゃい、それは」
「まぁ、それは後で説明するとして」
「お、おぅ。それで今後に期待するってのはいったい何だ?」
「その前に標準のエンタメ映画をドラマとして成り立たせるためには最低限で何が必要になる」
「それは感情移入できるキャラ達を “動かす” ことでスリル、サスペンス、ユーモアを生み出して最初の印象と最後の印象に違いを観ているものにあたえる。じゃないのか」
「例外もあるが、それが標準だな。それで次に『スター・ウォーズサーガ』のような大人気シリーズで昔からのコアなファンを満足させてなおかつ新たな物語を “魅せる” にはどうしたらよいか」
「どうしたらって?」
「それはTVアニメ『マジンガーZ』の最終回を使うことだ!」
「いや例えがオッサンすぎて、さっぱりです、わかりません」
「お前、観ただろう!」
「確かに観ていましたけど、なにか?」
「それじゃそれはひとまず置いといて。ドラマで定義される主人公とは何だ?そして『フォースの覚醒』の主人公は誰だ?」
「まぁ、普通に考えるとドラマのなかでいちばん葛藤が多い、つまり完成されていないのが主人公で、最近のハリウッド映画で “こいつ主人公です” と示されるのはだいたいが印象的なアップで映されるから『フォースの覚醒』だとレイ、フィン、カイロ・レンの三人か。『ルーク三部作』のルーク、レイア、ハン『アナキン三部作』のアナキン、パドメ、オビワンのスター・ウォーズ複数主人公の定石どおりだな。まてよ孔明の罠がなんとなくわかってきたぞ!つまり『フォースの覚醒』のオマージュてんこ盛りの目的はコアなファンを喜ばせるのではなくて麻痺させることか」
「そのとおり。しかし、完全には満足はさせてはいけない。満足させたと思わせて飢餓感も軽くあたえておかなければいけない」
「ルークが最後の最後に出るのはそのためか。次回への協力な引きにもなるし。なるほど『フォースの覚醒』でハンが死ぬのは単に受け狙いではなくて “これは新たな三部作の始まり” を宣言しているわけか」
「そのとおり。TVアニメ『マジンガーZ』の最終回は謎の敵にズタボロにやられたマジンガーZに突如現われたグレート・マジンガーに助けられる展開だっただろ「これからはグレート・マジンガーがはじまるよ。応援よろしく!」と宣言しているのと同じ。コアなファンをオマージュ漬けにして後のハンの死は、これは『ルーク三部作』の続きではなく、新たな『レイ三部作』であると宣言しているのさ」
「なるほど。つまり、無愛想で簡単に契約しそうにもないオッサンにキャバクラで若い嬢をたくさんはべらせてキャッキャウフフさせてオッサンの気分が最高潮で良くなってきたところを見計らって大きな商談をする手法か!」
「相変わらず妙な理解の仕方だが、間違ってはいない。そして『フォースの覚醒』から推察するに、おそらくは『レイ三部作』は “未熟な三人の若者が成長する” ドラマになるはず。だから……」
「だから?」
「レイとカイロ・レンのガチな対決がみれるかも。だ!」
「おお!『ジェダイの帰還』で期待していたルークとベイダーの決闘が、あんな事になってカックンしたのが、今回はガチであるかもしれない」
「そう、ガチでな。でもオレにも不安と不満が無いわけじゃない」
「わかるぞ、カイロ・レンだろ。いくら未熟とはいえその描写がまるで反抗期の子供にしかみえないから。未熟を描写するにしろ他にやりようが無かったのかと」
「うまくやるなら『大菩薩峠』の机龍之介とお浜みたいにできなかったのかと。てっきりキャプテン・ファズマがお浜にあたるとばかり思っていたから」
「オレもキャプテン・ファズマには不満がある」
「ほう、どこに?」
「あいつ思いのほかエロくない」
「お前は『スター・ウォーズ』になにを求めているんだ!」