ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆有]
DON'T BREATHE - Official Trailer (HD)
シリアスな『ホーム・アローン』か、それとも『パニック・ルーム』か?と思いきや中盤から『悪魔のいけにえ』並みのホラーに転じてゆくのが『ドント・ブリーズ』だ。そして観終わった後の感触はまさしくサイコサスペンスでもショッカー映画でもなくまさしくホラー映画なのだと感じてしまう。
そう、 『ドント・ブリーズ』はホラーだ。そして古めかしいゴシックの香りを放っている。
古めかしいと書いたのは、『ローズマリーの赤ちゃん』や『エクソシスト』のような近代的建築物や街並みでホラーをやるのではなく、誰もが寄り付かない土地にある寂れた大屋敷という舞台で繰り広げられるホラーの事だ。コレもここに入る。
しかし、『ドント・ブリーズ』に纏うその古めかしさは、現在のアメリカの社会状況が生み出したものでもあるのだ。
私は眼めの前の風景を眺ながめた。――ただの家と、その邸内の単純な景色を――荒れはてた壁を――眼のような、ぽかっと開いた窓を――少しばかり生い繁しげった菅草すげぐさを――四、五本の枯れた樹々きぎの白い幹を――眺めた。阿片耽溺者あへんたんできしゃの酔いざめ心地――日常生活への痛ましい推移――夢幻の帳とばりのいまわしい落下――といったもののほかにはどんな現世の感覚にもたとえることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、いたみ、――どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。
エドガー・アラン・ポオ著 『アッシャー家の崩壊』 青空文庫より
神(美)が細部に宿るなら、魔(滅)は朽ちたところから取り付くのかもしれない。
『ドント・ブリーズ』の舞台、デトロイトはラストベルトにある。寂れた重工業と製造業が舞台だ。三人のうちロッキーだけがハッキリとこの状況から抜け出したいと描写されてはいるが、後の二人マニーとアレックスもここから抜け出たいと思わせるところがある。都市としての活気が無い、ここには未来がないからだ。
だから、この三人が盲目の老人から隠している大金を盗み出すのは倫理ではいけないが動機としては分かる。そこで怖ろしい目に遭うのは教訓劇として納得できるところもある。
しかし、ここから『ドント・ブリーズ』がホラーになるのは盲目の老人の異常性を目にするからだが、「〇〇〇はしない」と言いつつするソレはどうみたって異常だ。盲目の老人は快楽ではなく自分の血を残す事が正当であると信じきっている。だから、ラストは「恐怖を乗り越えた褒美」としてのカタルシスを得ている。
そして、この場所と盲目の老人から逃げる事が大事になってくるのは『悪魔のいけにえ』と同じだ。違うのは最初から周りに誰もいない場所ではなく、かつて「栄えていた」場所である事。獰猛な番犬が走り回っても誰も気が付かない棄てられた廃墟の場所。最初から「そうなって」いたのではなく「そうなってしまった」と言っても良い。『ドント・ブリーズ』のホラーとしての新しさはそこなのかもしれない。
若者の「荒涼」。盲目の老人も「荒涼」。そして舞台も「荒涼」。
「荒涼」が魔物を住み着かせるなら。それは、「どこか」ではなく「いつか身近」にその恐怖は出来る、を描いたのが『ドント・ブリーズ』かもしれない。