ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
『ラ・ラ・ランド』はミュージカルというよりもミュージカルリスペクト映画というのが自分の印象だ。そして内容はベタなドラマだ。
なのであのラストシーンは『セッション』のチャゼル監督の独自のジャズ感(もしかしたらあれは監督のジャズへの愛憎かも)も相まって賛否が別れている。とりあえず自分は賛の方なので今回はあのラストシーンで連想した新海誠『君の名は。』と比べて書いてみたいと思う。
こちらもお願いします。
注:ここから先はネタバレになります。二作を観ていない方にはおススメできません。
あんた今、夢を見とるな。
『君の名は。』より。
『君の名は。』は物語の流れが奇妙だ。入れ替わりをセックスの隠喩だとすると。
入れ替わり(セックス)→ 口噛み酒(キス)→ 黄昏時(告白)→ 階段(告白)
この流れは通常の恋愛モノとは逆のプロセスになっている。それが、彗星のスペクタクルとRADWIMPSの楽曲であれよあれよと強引な展開で持って行かれるから、観ているうちには気にならないが、終わった後に不思議な感覚が残り人によっては何回もみたくなる感覚になる。つまりあの階段のシーンが音楽でいうところのダ・カーポの役割をはたしている。だから『君の名は。』は物語を楽しむ映画ではなくて、楽曲を楽しむ構造になっているところだ。『君の名は。』は音楽であるといってもよい。
『ラ・ラ・ランド』のオープニングのシーンが終わってからのタイトル『LA LA LAND』からこの映画のミュージカルは「浮かれ気分」で発動するのが示唆されているし実際ミュージカルのシーンはそうなっている。まさにラ・ラ・ランド「浮かれ気分」である。ロマンチックの部分だ。
しかし、現実はセブとミアに冷たい。セブは生活のために自分の信念に反した仕事をするし、ミアは舞台に立つが失敗してしまう。ここはシリアスだ。
そしてラスト、画調は黒でミアの服装も黒、そして画面は今まであったフィルムの粒状感が無くなりデジタルのソレになっている。つまり「浮かれ気分」はない。ここでもシリアスだ。そこで「浮かれるの」にはどうするか?有り得なかった過去の追憶を作り出すしかない。セブとミアは有り得ない世界でしか愛し合えないどおしになってしまった訳だ。つまり『ラ・ラ・ランド』は悲しい映画なのだ。そしてまさしく『カサブランカ』のようなドラマだ。
ヘタに考えるとそんなありきたりなドラマに無理に楽しさを与えるためにミュージカル風な装いに仕立て上げただけではないのか?自分は違うと考えている。ラストシーンの有り得なかった過去の追憶は音楽で言うところのリフレインだ。つまり『ラ・ラ・ランド』という映画そのものがひとつの踊りになっている。
そのために『ラ・ラ・ランド』は普通のドラマなら悲しくなって楽しむはずなのに逆に悲しい現実を美しく明るく楽しむ映画になった。接合しづらいシリアスとロマンチックが融合して不思議な感動を与えた。
それが『ラ・ラ・ランド』だ。
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