えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『新感染 ファイナル・エクスプレス』で気がついたこと

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]

 


「新感染 ファイナル・エクスプレス」予告編

shin-kansen.com

 

傑作なんだからみんな観ろ!! (断定)

 

新感染 ファイナル・エクスプレス』。この映画の画期的なところは、本来なら「混ぜたら危険」なゾンビ(血みどろ)と人情(泣き)を融合させたところだ。通常のゾンビ物だとテレビシリーズの『ウォーキング・デッド』から連想されるように、人々が狂気に落ちてゆく様がドライまたはシニカルなドラマとして展開されるが『新感染』はやはりそこも描きつつも「人の繋がりは大事」というウエットの方向にもっていったところだ。まさに泣けるゾンビ映画だ。これに近い感触はテレビアニメの『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』や『がっこうぐらし!』だろうが、この二作と違うのは学生と違って主役が父親というところで感情移入の幅を広げたところ。早い話、よくある仕事一筋の家庭を省みない身勝手な男が何かがきっかけで今までの自分を振り返り新たな自分に生まれ変わる話だが、通常だとその何かは「自身の病気」だったり「誰かが亡くなったり」だが、ここでは「ゾンビに襲われる」の違いしかない。

 

批判しているんじゃないよ。傑作だっていっているんだよ!(大事なことなので二回書きました)

  

そして、韓国の社会状況に疎い自分でも列車という舞台をつかって、いわゆるそこに住む人々の確執を織り交ぜてドラマをつくっているのが分かる。そして、それとは別に、そこにあることに気がついたので、どうしてラストはああなのかを織り交ぜながら自分が感じたことをここに書いてみたいと思います。

 

 

こちらもお願いします。

eizatuki.hatenablog.com

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ここから先はネタバレになります。観ていないかたにはおススメできません。

 

:13)兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。:14)わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。:15)わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。:16)すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、:17)それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。:18)だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互に慰め合いなさい。

           テサロニケ人への第一の手紙 第四章 13節から18節 より

 

結論からいうと、この映画のモチーフにプロテスタント  携挙(けいきょ)と引き上げを使っていると自分は考えているから。あのゾンビウィルスによるパニックを患難時代と見立てればそうなる。

 

どうしてこれが、携挙と引き上げかと感じたかといえば。映画でスアンが歌うアロハ・オエは一般的にはキリストの再臨(サイリン)を歌っているから。再臨なら携挙と引き上げも一緒だ。早い話。國村隼のふんどし姿のあの映画とモチーフは同じだ。

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 予告より

 

携挙と引き上げは終末で選ばれた者が主であるイエス・キリストと出会う人なのだから自分のためではなく他人にも気を配れる「良き人」でなければならない。この映画でハッキリと「良き人」として描かれているのはソグの娘のスアンとサンファの相方であるソギョンの二人だけだ。

 

ソギョンはゾンビに襲われる見知らぬ男を助けるようにサンファに頼むのでその資格がある。「良い人」だ。

 

スアンも中盤で自分と娘だけ助かろうとするソグを諌め、皆に教えようとする。これも「良き人」だ。資格がある。

 

これらに対して他の人にはそんな描写はない。あの胸糞悪い常務は当然だが、サンファやヨングク等はそこまでの描写はされてはいないし、ましてや主人公のソグは論外だ。何故なら、彼はこの状況をつくった関係者のひとりなのだから。サンファ達を見殺しにした常務をソグは責めるが、そのあとに今回の取り返しのつかない事態を招いたのは自分だと知ると、手についた血を、まるで自分が犯した罪を洗い流すかのような描写をしていることからもそれは分かる。彼は「良き人」ではない。

 

しかし、だからこそ、あのソグの最後はとてつもなく優しい。身勝手な。ある意味、数時間前までは、あの常務と同じタイプの人間だったソグがサンファ達と行動を共にしているうちに変化してゆき、--それはあのホームレスを自ら助けたところからも分かる。-- 内にある人としての温もりに目覚め「良き人になりかけた」ソグにまるで神が恵み(慈しみ)を与えたかのようにみえる。

 

そうゆう意味では、この映画はホラーというよりも旧約聖書をモチーフにした思われる『ポセイドン・アドベンチャー』と同じタイプかもしれない。

 

 

と、ここまで書いて恐縮だが、さすがに今回は論旨が強引すぎたかも。ただ、面白い!!とだけ書くのも能が無いと思ったからそうなったけども……

 

傑作だからみんな観ろ!! (念を押しました)

 

 

 

新感染 ファイナル・エクスプレス (竹書房文庫)

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プロテスタントの歴史 (文庫クセジュ 114)

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