えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

ケネス・ブラナー監督の『オリエント急行殺人事件』の魅力をネタバレスレスレで語る

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

ポスター画像

www.foxmovies-jp.com

 

オリエント急行殺人事件』はミステリー作家、アガサ・クリスティ 原作の二度目の映画化だ。トルコ発フランス行きの寝台列車オリエント急行で起こった殺人事件。乗り合わせた乗客は誰もが嫌疑があり、そしてアリバイもあった。偶然に乗り合わせた探偵のエルキュール・ポアロは真犯人のアリバイを崩して真実にたどり着けるのか?

 

熱烈なファンではないのであくまでも個人の見解だが、アガサ・クリスティのトリックの特徴は謎が説き始めたら秘められていたドラマが現れるといった展開が印象的だ。クリスティのこの特徴はかつてあったテレビの2時間サスペンスドラマの使われて現在でも『相棒』で使われている。日本では今やスタンダードとなっている。

 

オリエント急行殺人事件』のトリックはその頂点かもしれない。その素晴らしさは解けたとたんドラマが怒涛のごとく流れてくるからだ。だから、ソレは後のミステリーに流用・応用されていったのも分かるし、それが今や消費尽くされている感もある。そしてなによりもシドニー・ルメット監督『オリエント急行殺人事件』というミステリーの名作映画がある。市川崑監督の『金田一耕助』シリーズにも大きく影響を与えたと思われる、この名作とケネス・ブラナー監督の今作はどう違いをみせたのか?簡単にいうと「エルキュール・ポワロの内面を踏み込んで描く」ところだ。ここは原作にもルメットにもなく、ピーター・ユスティノフが演じた映画にもなく、大体の人がポワロでイメージするデヴィッド・スーシェが演じるテレビドラマ『名探偵ポワロ』でもなかった。

 

ここでのポワロはどの神も信じない実証主義として描かれる。冒頭にエレサレムを舞台(意味あり気な舞台でもある)にした推理劇をして、公平さ -- 卵の均一さや両足で糞を踏む描写で -- にこだわり人生の糧として生きる人物として設定されている。「誰かが偏って利を得ることを良しとない」人物としてだ。そのポワロがこの映画のトリックに出会ってしまったらどうなるのか?ここが最大の見所になっている。つまりトリックが解ける瞬間ではないのだ!

 

もちろん原作のトリックを知らない人にもミステリーとして楽しめるように体裁は整えている。しかし、先に書いたようにこれは手垢が付きすぎたモノでもある。これ自体は知らなくても、流用・応用されたのは一度は目にしているからだ。

 

捜査を続けてゆくうちにポワロには事件の全容が見えてくる。そのために自身が過去に「失った」ものと対面せざる負えなくなる。ポアロの苦悩を描いて、かつ真犯人の苦悩がぶつかり合うのが、あのクライマックスだ。そしてそれは結果的にはミステリーというよりも、まるでケネス・ブラナーを座長にした舞台劇を観ているような感覚になる。まさしく、ケネス・ブラナー劇場だ。そして、それはかつてはブラナーが監督した『ハムレット』や『から騒ぎ』で魅せた才気が復活した瞬間でもある。

 

そうしたブラナーの作品は評価こそは高かったが興行収入は芳しくなく、最近では監督としては職人として徹しているイメージがあった。マーベルやディズニーの映画がそうだ。さすがに『エージェント:ライアン』は「違うだろ!」とは思ったが。それが今回は題材としての妙もあってか、シェイクスピアではなくクリスティを「再解釈」してみせたのが、この『オリエント急行殺人事件』だ。この映画はそう見るべきだ。

 

本心を言えば、自分はそうした映画を心の底から楽しめる人間ではないし。この映画がルメットよりも優れているとも思えない。しかし、ここは素直にケネス・ブラナー監督の復活を喜ぶべきだろう。人によっては至福の2時間を体験するのだから。

 


映画『オリエント急行殺人事件』予告編

 

 

Ost: Murder on the Orient Expr

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