えいざつき ~映画ポエマーの戯言~

映画批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『羊の木』の超ネタバレスレスレでちょっとしたフワフワな感想

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆修正有]

  

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hitsujinoki-movie.com

 

山上たつひこ原作・いがらしみきお作画のコミックスの映画化。過疎化が進む魚深市に越して来た6人の男女。彼らを世話をした市役所に勤める月末一はこれが国家プロジェクトによる試みで彼らが元受刑者で元殺人犯である事実を知っていた。平穏で退屈な町に居を構えた6人は、やがて月末の周りを中心にして不穏な様相を醸し出しはじめ。やがては引き返せない事態へと展開してゆく。

 

この映画を印象づける、木に実った5匹の羊。よく見るとそれぞれに羊の大きさが違うし、羊が実ってなくて葉っぱだけのも2つある。

 

原作を読んではいないが、『羊の木』は題名どおり「犯罪を犯した者たちの再生」物語だ。冒頭の東タタールの言葉を素直に受け、旧約聖書『創世記』のイサクの燔祭の流れに従い。「羊 イコール 人」の解釈で考えるのなら、映画に出てくる、あの木に実っている5匹の羊は「人でなし」の象徴であり、それが「人になれるのか?」がこの映画の主題であるはずだから。

 

この映画では6人の「人でなし」という元殺人犯がいるが、それぞれの闇の深さの濃淡があって様々だ。

 

そのうちの2人は最悪から2番目の闇の濃さがある。「自らに眠る暴力の衝動」を必死になって抑えている。

 

さらに2人は最悪から3番目の濃さだ。殺した過去を悔いて「やり直しができるだろうか?」と自問している。

 

この4人が、魚深市の人々に触れ合って「人でなし」から人になろうとしている過程が微かな希望とともに描かれてゆく。それはやたら死骸を埋めるアイツからもみてとれる。

 

残るは2人だが、そのうちの1人は、見た目は最悪そうだが、実は最悪から4番目である。闇の濃さが一番に薄く、人に近い。簡単にいえば「ただのゴロツキ」だ。田中泯が演じる大野が「お前は所詮ゴロツキだ」と遠回しで言っているとおりだ。だから、あの5つの羊の中にはそいつはいない。おそらくは葉っぱだけのはそいつだ。

 

ちなみに木に生えている葉はあとひとつあるが、実はこの町にはすでに7人目が先住している。これは映画でも、ちゃんと描写されている。

 

最後に残った1人が最悪で最も闇の深さが濃い。シリアルキラーだ。だが、そんな「人でなし」にも人を殺すスイッチ(衝動)がある。彼は自分が不快にならなければ人は殺さない。殺人の告白もそうだったし、酒に酔って暴力的になる男を倒したり、アレを殺したのもそうゆう理由だ。だから「友達として」付き合っていた男が不快に感じられず、スイッチの切り替え(衝動)が起きなかったがために、あんな事をした。

 

あのシリアルキラーは根っからの「人でなし」だ。人にはなれない。それならどうなるのか?彼に残されたのは「神に喰われる」ことだ。今にも木から落ちそうな一番大きな羊は彼だ。

 

宗教以前の狼は豊穣の神としてあがめられていた。 -- この考えは学術的には必ずしも認められてはいない。-- つまり、のろろ様と同じであり、クライマックスのちょっとしたスペクタクルなアレはそうゆうことだ。

 

そして、この映画はそんな最悪な「人でなし」にも優しい結末を用意している。あのシリアルキラーは文字どおり変化(へんげ)して町に帰ってくる。まるで祟り神が守り神となった様に……。

 

まとめれば、『羊の木』はキャスティングの妙と構成の上手さが効いて、奥の深いドラマになっている。そんな感想だ。

 


映画『羊の木』 予告編

 

 

 

映画「羊の木」オリジナル・サウンドトラック

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図説 金枝篇(上) (講談社学術文庫)

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