ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
19世紀アメリカに実在した興行師フィニアス・テイラー・バーナムことP・T・バーナムの半生を描いたミュージカル映画。貧しい家に育ち、幼馴染だった名家の娘と結婚したバーナムだったが、生活は立ち行かず苦労をしていた。やがて、あるひらめきから様々な人々を集めた誰も見たことがないショーで成功を掴む。だが、それは社会的な反発も生み出してしまい、バーナムもそれとは違うさらなる成功を目指そうするが……。
P・T・バーナムといえばセシル・B・デミル監督『地上最大のショウ』で描かれる前身であるサーカス興行の基を作った人物であり、ラストシーンの一歩手前の列車のシーンなどは、妻チャリティへのプロポーズの再現の意味もあるのだろうが、個人的には後のサーカス興行列車を連想したりもした。
この映画では自分が親しんでいるサーカスそのものではなく、いわゆる前史が描かれており、その部分をどう描くのかと思っていたら「彼等」を見世物にするストレートな展開に「逃げていないなぁ」の感情もあった。
ドラマは3つの相、一つ目は「成功を求めるバーナム」二つ目は「見世物となった彼等の心境の変化」、三つ目は「フィリップとアニーの恋の行方」に分かれて進行する。
一つ目は誰でも直観で分かる。貧しい出自であるバーナムが自らの才覚でのし上がるところだ。華やかな歌曲とヒュー・ジャックマンの演技に目をくらませてしまうが、映画そのものが、それがバーナムの野心でもある「心の闇」の部分であることはちゃんと宣言している。最初の登場が舞台の裏側からであり、やがてひとりになってしまうシーンがあるし、その後に理由も描かれているからだ。それはクライマックスまで維持されて映画が進むにつれて徐々に彼の「心の闇」が晴れてゆくのが、ドラマのひとつだ。
二つ目は「彼等」の心境の変化だ。バーナムの野心のために担ぎ出された「彼等」は当時の感覚でいえば人間とは認められていない。テレビドラマ『ルーツ』で描かれていた黒人蔑視の理由のひとつに「人間の出来損ない」の考えがあったから、当然それは「彼等」にも当てはまる。その「彼等」に人間としての尊厳と誇りを目覚めさせるドラマがここにある。前フリとしてビクトリア女王に「背が届かないでしょう」の言葉の反論に、ある人物が「あなたもでしょう」と応える場面があるが、もちろんそれは「女王がそんな細々とした作業をする訳がない」という事実と共に「あなたと私たちは同じだ」と、暗に示す場面でもあるからだ。だからこそ「彼等」が歌う中盤の楽曲『This Is Me』が光輝く。
ちなみに「彼等」を敵視してあまつさえミュージアムを全壊にしてしまう群衆はおそらくはアイルランドからの移民者だろう。マーティン・スコセッシ監督『ギャング・オブ・ニューヨーク』でも描かれた暴動を思い出すなら当時、黒人と同等の扱いで生活が困窮しているアイルランド移民者が自分達よりいい思いをしている「彼等」に敵意を示すのは当然だともいえる。
三つ目は説明するまでもない。スティーブン・スピルバーグ監督『リンカーン』や『それでも夜は明ける』のある人物を知っていれば分かる。黒人と愛し合っていると知れれば社会的な地位が失われるからだ。
3つのドラマ。階級・身体・人種に共通するのは当時まだ概念すらなかった「人権」だ。
しかし、宗教的な視点もなく、だからといって学際的な視点もなく歌曲と踊りだけで「人権」をいわば強引に結びあげたのが『グレイテスト・ショーマン』だ。ドラマとしてみるならかなり不細工な出来だ。しかも、バーナムの改心の仕方が、オー・ヘンリーやチャールズ・ディケンズの小説みたいな人情ドラマでベタだ、ベタベタだ。
裏を返せば歌曲と共に「愛される」映画なのが『グレイテスト・ショーマン』なのかも知れない。今はそんな感想だ。