ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
架空の世界を舞台にしたアニメーション映画。ある理由から「別れの一族」と言われているイオルフの民。それを欲しがり彼らの里に急襲するメザーテ軍のため里は崩壊する。その時に生き残った民の一人である少女マキアは人間のエリアルを見つけて育てることになる。月日は流れ、その理由であるマキアとエリアルの違いが明確に分かるようになりマキアとエリアルの関係も変化してゆく。
熱烈なファンでは無いためあくまでも個人的な私見だが、岡田麿里脚本は縛りが高いと職人に徹した作品を仕上げるが、縛りが緩くなると岡田麿里特有の癖が見えてくる。それは、いつもドラマを通してあるモノが描かれるからだ。
よく使うのは「女と女の対立」から生まれるドラマだ。出世作であるテレビア二メ『true tears』の湯浅比呂美と仲上眞一郎の母(仲上しをり)や『心が叫びたがってるんだ。』の成瀬順と母(成瀬泉)がそれになる。実も蓋もない言い方をすれば、その中間にいる男性陣は完全にかませ犬の役割だ。そのドラマの落としどころに彼等が挟まれるからだ。『さよならの朝に約束の花をかざろう』にもそれはある。
この映画でその部分をどうやって表現したかといえば、簡単にいうというとイオルフの民にある設定をすることで、なんとマキア一人のキャラクターに全部押し込めたことだ。「女と女の対立」をたった一人で描写させる。正確にいえば補助線的な存在が後一人いるが、基本としてはそうだ。
もっとも、それが具体的に描写されるのはマキアではなくてエリオルに表れる。変わってゆく彼のマキア対する想い、母から初恋の人、そして母へと……だ。初恋の人だと、どうして分かるのかといえば、エリオルと同じ様にマキアに淡い想いを抱いているある男性キャラがエリオルの面倒を見るからだ。彼とエリオルとのやり取りでそれが察せられる様になっているからだ。そしてそれを補足するエリオルを慕う女性キャラもいる。また、それは補助線的な存在にも配置されている、この絶妙さは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を思い出させる。上手い、というしかない。
母から初恋の人そして母へと……。のエリオルのドラマと平行して描かれるのは、純粋で無垢の存在だった者が「世俗に揉まれて母になる」ドラマだ。もちろん、それはマキアであり補助線的な存在に当てられる。
この二つがまさしく機織りの様に織り込まれるために、奥行きのあるドラマになっている。
そして個人的に嬉しいのは羽衣伝説をモチーフにした、純粋なファンタジーということ。イオルフの民とあるモンスターを対比させることで「一つの時代の終わり」を印象づけて、あの別れのシーンにもってゆくのだから、歴史が通り過ぎて行った感覚がある。その不思議な感動は設定とドラマが対になっていないと味わえないからだ。
時間経過描写の不味さの大きな弱点はあるものの水準以上の出来上がりなっているのが『さよならの朝に約束の花をかざろう』だ。
映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』オリジナルサウンドトラック
- アーティスト: 川井憲次,rionos,riya
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