ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
SFファンタジー作家ジェフ・バンダミア『全滅領域 (サザーン・リーチ)』を映画化したSFスリラー。アメリカのある地に飛来した正体不明の「何か」。不可解な現象が起こるその領域エリアXに元陸軍で生物学者レナの夫ケインも加わるが、一年後に彼だけが生還する。しかし、ケインも謎の昏睡状態になり、夫を助けるためにレナも調査隊に加わりエリアXへと入ってゆく。Netflix配信。
先にSFスリラーと書いたが、印象としては、どちらかといえばSFホラーまたは不条理SFに近い。そして、観終わったあとに思い出したのはアンドレイ・タルコフスキー監督『ストーカー』だ。
『ストーカー』については色々な見方があるが、自分のは「神秘的なのもに対する人間の理性の限界」を描いたものであり、早い話が「人知を超えた存在が残したものに人間は抗うことはできない」でもある。当時、ソビエト社会主義共和国連邦だったがために神秘的な作品が撮りにくいかったがためにSFというジャンルで中央を欺いて撮ったのが『ストーカー』だろうし同監督の『惑星ソラリス』もそうだろう。なにしろソ連から出国して撮った『ノスタルジア』や亡命後に撮った『サクリファイス』 がSFの衣を被せていなくてもタルコフスキー色として変わらないからだ。
『アナイアレイション』もちろん書籍の映画化ではあるが、そうした前例はマイケル・クライトン原作でこれも映画になった『スフィア』があるし、それはどうみても『惑星ソラリス』や『ストーカー』触発されて書いたのに違いないのだから、系統としては間違ってはいないし、何よりも映画監督であるガーランド監督がタルコフスキー作品を知らないわけがない。この作品が『ストーカー』を意識しているのは確信している。
それは設定の部分もそうだが、主な理由は「ガラスのコップ」だ。『ストーカー』ではラストシーンで起こる、ある「変異」がガラスのコップで描かれるからだ。そして、この映画でも「変異」はガラスのコップを境に起こっているから。意識していると確信しているのはそうゆうことでもある。
ここからここから自分は『アナイアレイション』どう観たのか?に入る。この映画では屈折が大きなヒントになっている。屈折は物体が触媒の中にあるから起こるモノだからエリアXはまるで水の表面に張り付いた油の被膜のような美しさがあった。ジマーは触媒なのだ。ただ、自分としてはそれだけではなくジマーは「分光(ブンコウ)」みたいな能力があるものだと考えている。入射された光がブリズムを通してスペクトルに分かれるように生物がエリアXに入るとDNAが光のように「分光」されてスペクトルに分かれる。
スペクトルに分かれた光は別の光から分かれたスペクトルに重なるとまたひとつの光になる。それがエリアX内ではDNAで起こる。それが、あの異常な光景の正体なのだろう。
それではあの一歩間違えばギャグのようなあのクライマックスは何かといえば。正直よく分からない。あるとすればガーランド監督が前作『エクス・マキナ』でみせた「本物の心と作り上げた心の見分けがつくのか?」のテーマにそって、この『アナイアレイション』では「心と身体が分離した」とみるべきなのかも知れないし。だとしたら、ラストシーンのアレは「心が無いのと身体が無いどおしがひとつになる」と解釈するべきだろうが自信はない。もしかしたらそれが狙いで解釈の余地を残しているのかも。
何だが、哲学ぽい映画だと思うかもしれないが、『エクス・マキナ』に比べるとまだケレン味はある。特に中盤のあるシーンは遊星からの物体X と鋼の錬金術師のあの部分とあの部分を足した感じの怖さがあって一番盛り上がるところでもある。
でもそこを考慮に入れてもまだ地味な感じは否めない。
『アナイアレイション』はガーランド監督らしい作品ではあるものの娯楽としてはもう一工夫あっても良かった気がする。
補足:ガーランド監督、タルコフスキー監督の影響はハッキリと分かるが、自分としては本多猪四郎監督『マタンゴ』もヒントにしてそうな気がする。冒頭と最後がマタンゴぽいし、何よりズバリなシーンもあるのだよなぁ。
Annihilation (2018) - Official Trailer - Paramount Pictures