ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略][加筆有]
郊外の一軒家に暮らす詩人の夫と妻の夫婦のもとに、ある夜ひとりの男が現れた。詩人の夫は何故か男を気に入り家の中に招き入れるが、妻はそれに不信感をつもらせる。やがて男の妻と呼ばれる女性が現れ、彼らの子供も現れる。そして、その他の来訪者も一軒家に現れ始め、やがて詩人の妻の精神は徐々に蝕まれてゆく……。
結論からいうと「至極真っ当だが、おぞましい」のが、この『マザー!』だ。旧約聖書の創世記をお手本にしているのは分かるのだが、どうもそれだけでは腑に落ちないのを感じて今回はちょっとインチキをしてimdbのトリビアを開いてみたら。ダーレン・アロノフスキー監督はルイス・ブニュエル監督『皆殺しの天使』とスーザン・グリフィン著『女性と自然』の二つに影響を受けたらしい。……不勉強を承知で告白すれば『皆殺しの天使』は観ていないし、『女性と自然』も読んだことはないが、後者でどうやらエコフェミニズムの視点がこの映画にはあるらしいのは分かった。
エコフェニミズムをざっくりというと女性を感性と自然、男性を理性と文化と関連づけて「女性の抑圧と自然破壊には関連がある」と主張しているところだ。
そうなると、最初の受けた印象とは別の部分が考え浮かんでくる。「おぞましい」部分のところだ。
簡単な流れでいうと、詩人の男が大切にしていたクリスタルは「信仰」の象徴であり -- 創世記での光あれ!の部分 -- それが壊れるということは人が理性を獲得したことになる。当然としてあの後に二人は「ハッスル!ハッスル!」しているし。そして、いきなり男性が壁の塗り替えをしていたり、カップルがキャッキャしているところは「文化による環境破壊」を暗示しているらしい。もちろん、後半のアレは文化による環境破壊が極まった果てに起こる事態であり、そうなったら人々が求めるのは救世主。と主張しているところでもある。らしい。
ちなみにあくまでも推測だが、詩人の妻が飲んでいた黄色い水は黄色ではなく金色としてみると、金色 → 光輪(こうりん) として解釈することができる。光輪は神秘を象徴するものでもあるから、それを飲むということは、その光を取り入れることで自身(自然)の回復をさせる意味をもつことでもあり、それを飲まなくなったのは、もちろん妊娠 -- それは詩人の妻が理性と文化を認めたことにもなる。-- しためでもあるが、後半でのアレへの布石にもなっている。
救世主もモロに「あの人」なのだが、おそらく上映禁止になった重要な部分のあの「ポッキリ」もパンとワインを代わりにしなかったばっかりにアアなってしまうという凄い描写。理性と文化が破壊されると人はこうも脆くなるのを描いているのだろうが、観ていて気持ちの良いものではない。こうしてみるとロマン・ポランスキー監督『ローズマリーの赤ちゃん』の奴らは結構いい奴らだったんだ。にしかみえないのがなんとも。
しかし、ここまでなら酷い!酷い!(大絶賛の意味)作品なのだが、ここからが「おぞましい」領域になる。なんとこれがリセットされて、また再現されるのだ。そして最後の歌に" The End of the World ”失恋の歌だ。やはり失敗の結果が見えている。早い話が「この悲劇は終わりがない」ことになる。エンドレスなのだ。理性と文化が感性と自然を永遠に暴行し続けていることになる。なんなんだよ、これは!
傑作と認めつつも『マザー!』はおススメするのをためらう映画だ。30歳以上が推奨かもしれない。のが今のところの感想だ。