ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
元CIA職員だった小説家ジェイソン・マシューズの作品の映画化。ロシアでバレエダンサーだったドミニカは事故で二度とバレエが出来なくなってしまう。生活のため病気の母のためドミニカは叔父ワーニャのいう通りに従い肉体を駆使して敵側から内通者を作り出す組織、「スパロー」になる決意をする。養成所での訓練は過酷だったが、類まれなる能力でドミニカは認められ、初任務としてロシア政府の奥に潜むスパイを探し出すためCIA職員のナッシュに近づく。
原作を読んでいないのを承知でいうと「ピンとこない」&「作品構造が変」。『レッド・スパロー』はそんな映画だ。
ドミニクのモデルらしき人物はおそらくアンナ・チャップマン(アンナ・ヴァシーリエヴナ・クシチェンコ)だから、これが冷戦終了後2010年代を舞台にした物語なのは分かるし、映画の中でも シャーロット・ランプリング演じる監督官が「冷戦は終わっていない。砕けただけ」と台詞があるから自分はその「砕けた冷戦の欠片」を眺めているのも分かるけど、「ピンとこない」。
ドラマはいたってシンプルだ。表向きはロシア政府内部に存在する内通者(モグラ)を探し出す諜報活動の過酷さを描写しているかのようで、実は美貌のドミニカが叔父ワーニャ・エゴロフの支配欲というモラルハラスメントから逃れるドラマになっている。ワーニャのドミニカへの支配欲の強さは通常なら最初からハニートラップからスパローに誘えばよいのにもかかわらず親切心の振りをして彼女に足が折れた本当の理由を教えたり、ドミニカがスパイ仲間のニーナに自分の弱みを告白したら「彼女の弱みを知っているのは俺だけでよい」とばかり任務を失敗していないニーナを部下を使ってドミニカに見せつけるように暗殺する公私混同からも分かる。もちろん、ワーニャに思わせぶりなキスをしたシーンでドミニカもそれは見抜いているのは描写されている。
もっとも、それが本格的に動き出したのはCIAのネイト・ナッシュの存在を知ってからだ。スパロー訓練所でドミニカはその類いまれな洞察力 -- といっても、それは視線の分析だが。-- に磨きをかける、性行為の相手に視線が泳いでいる兵士(故郷の恋人に負い目を感じている)を選んで監督官から「楽をしたわねえ」と言わせ、レイプしようした訓練生(男性)がバックでしか興奮しないチキン野郎、と見抜いたドミニカなら、ネイトの住まいから出てくる娼婦の写真の一つにサングラスをしてるとはいえ玄関の奥に視線(おそらくそこにはネイトがいる)を向け軽く手を上げている仕草からネイトの本性「商売女にも普通に接する人」であり「信頼できる人」を見抜くのは造作もない。現にドミニカはネイトと視線が合う対面座位で性行為をしてところからもドミニカは終始ネイトを「信頼している」。
ドミニカにとって想定外だったのはモグラ本人が彼女の前に現れたことだ。それは思わず煙草を投げ捨てたところからも分かる。「作品構造が変」なのはここからだ。今まで「諜報戦の振りをした女の報復劇」だったのに、ここでいきなり「諜報戦のドラマ」に戻ってしまうからだ。このドラマはどこに落ち着くのか?
結論からいえば「諜報戦の振りをした女の報復劇」はワーニャの最後で終わる。そして「諜報戦のドラマ」はラストの電話のシーンで「俺達の闘いはこれからだ!」と漫画『男坂』を彷彿とさせる終わり方をするのだ。それを意図として捉えるなら、報復劇のドラマとは別に映画としてのメッセージは「反ロシア」として出していると解釈するしかない。ソ連からロシアに国が変化した現代でも1980年代のテイラー・ハックスフォード監督『ホワイトナイツ/白夜』で描かれた世界と変わっていない、そのロシアを相手に英雄になったドミニカがネイトとモグラを味方につけて監督官との不穏を残しながらも内部から戦う。ってつまりジェニファー・ローレンスの出世作『ハンガー・ゲーム』とほぼ同じではないか。シリーズ化を意識していたのだろうか?うーん……。
『レッド・スパロー』は自分の感情の落としどころに迷うが、痛そうな拷問描写が良かったので、ちょっとだけ評価を高めにしておきます。そんな感想です。
ジェニファー・ローレンス主演!映画「レッド・スパロー」予告A
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