ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
デルフィーヌ・ドゥ・ビガンの小説『デルフィーヌの友情』の映画化。小説家のデルフィーヌはかつて母の自殺を扱った小説で名声を得たが、次作を書けずに苦しんでいた。ある日サイン会で出会った女性エル(彼女)と意気投合して、デルフィーヌと共に住み始めて、仕事上の相談相手にもなるが、行き詰ったデルフィーヌはポツポツと過去を語るエルを題材にして小説を書こうと決めたとたん、彼女の周りに異変が起き始める。
いつも心に『 ミザリー』を。
この映画の感想はこれにつきる。ちゃんと中でそれを示すシーンもあるからだ。まぁ、デビッド・フィンチャー監督のあの映画もすぐに思い出すだろうが、個人としては圧倒的にこちらの方だ。
ちなみに『ミザリー』とはスティーヴン・キングの原作でロブ・ライナー監督で映画化された。さらにちなみにミザリーとは主人公である作家が書いていたシリーズの主人公であり、キャシー・ベイツが演じていた女性の名前ではない。
『ミザリー』を要約すると、シリーズを終了させて新たな作品を書き上げた主人公がシリーズの熱烈なファンである女性に監禁させれてシリーズの結末に納得できない女性に無理矢理に新たなミザリーを書かされる。な内容だ。個人の思い出&感想としては「お前(キング)かつての登場人物には厳しい結末を書いていたのに、自分によると甘々になるな」だった。それが『ミザリー』だ。
『告白小説、その結末』の主人公デルフィーヌも自身の体験を元にした作品から、新たなステップをするために完全なフィクションを書こうとしていたら、それを阻むのはエルだ。
だから、ラストでエルの正体らしきモノが分かると、これは心理スリラーではなく、内面の葛藤を描いた題材なのだということが見えてくる。ましてや監督はロマン・ポランスキーだ。主人公が徐々におかしくなってゆく『テナント/恐怖を借りた男 』を撮った監督だ。何故なら『テナント』はポランスキーの当時の内面を描写した映画。が大方の解釈だから。これと『ミザリー』を当てはめると『告白小説、その結末』は、どうやら純文学だと導かれる。
あの展開は、「あたしは新たな挑戦をしたい」VS「あんたはこんなモノしか出せないのよ!」の私小説的な作家の苦悩と葛藤が、あの形で表現されているからだ。
最後はどうなるのかは伏せるとして『ミザリー』よりも飛んでいて『テナント』より(?)も抑えめであるのがこの映画だ。まだ感想がまとまらないけども取りあえずヘンテコ映画好きならおススメだ。で締めます。
映画『告白小説、その結末』2018.6.23(土)公開 WEB限定予告(コメント篇)