ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
人気スパイアクション『ミッション:インポッシブル』シリーズの六作目。前作『ローグ・ネーション』で壊滅した犯罪組織シンジケートは残党が集まったアポストルという組織に変わり暗躍していた。ミッションで核爆弾のコアであるプルトニウムの回収に失敗したハント達は、アポストルとの関連で唯一名が知られているジョン・ラークを手掛かりに彼と取引をするであろう闇の仲介者である女性ホワイト・ウィンド接触しようとするが、ハントに疑いの目をむけるCIAは監視役にウォーカーを送り込んでくる。
自分のブログは、いつも物語の弱点を探して、「これは〇〇〇しているけど本来、こういいたかったのでは?」とか、結論めいた「これが〇〇〇のドラマ」だとか固いことを述べていますが、この『ミッション:インポッシブル フォールアウト』は誰もがすぐに分かるシンプルさがあります。だって……
トム・クルーズは神話的英雄である!
イーサン・ハントじゃないよ。トム・クルーズだよ!
ドラマとして、ホメロスの『オデュッセイア』を前フリにして「全体も救うが、友も救う」とか「どうしてハントは裏切らない」とかを前提として掲げ、その理由を後半に集約させてゆくのはアリだし、終わりに結婚らしきモノを匂わせて締めるのもアリだ。だが、これは全て失敗している。
だけども、それは一旦脇に置いて。そんな興ざめがする主張を、ストレートに、トムによるノースタントのアクションとアクション!またアクション!!もっとアクション!合間合間にアクション!クライマックスにさらにアクションの大盛メシメシ!!! とつるべ打ちに続くので、最後には「全くその通りでございます!」にしか感情が収まらない。
だから、もはや映画に感動しているのかトムに感動しているのかが分からなくなり、それよりも神話的英雄はイーサン・ハントではなくトム・クルーズなのではないのか?と錯覚しかねない、いや、それでもいい!いいのです、その境地になります。
この有無を言わせない感覚は、あの『バーフバリ 王の凱旋』と同じだ。さらに付け加えると167分の『完全版』ではなく141分に編集して日本で最初に公開されたバージョンの方だ。だが、ケレン味のつるべ打ち演出ではなくノースタントでのアクションには勝てない。まさに「王を称えよ!」ならぬ「トムを称えよ!」だ。
どうして賛辞が『フォールアウト』という映画ではなくトムなのかというならば、これは物語として見るならば大きな傷があるから。
どうして、ホワイト・ウィンドがプルトニウムコアのひとつを持っていたのかが、まったく説明されていないからだ。
色々と推測はできるが、結局は推測の域を超えない。つまり物語としては破綻しているし、ドラマも成立していない。なのに、興奮が持続するのはトム・クルーズがまさに身体をはっているからだ。ドラマで感動するのではなく、まさに「見世物」としての感動だからこその感情だ。映画の原初な感動だ、だからこれでいい!
トムを称えよ!さらに称えよ!もっと、もっと称えよ!!
『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』ティーザー予告
Mission: Impossible - Fallout (Music from the Motion Picture)
- アーティスト: ロアン・バルフェ
- 出版社/メーカー: Paramount Music
- 発売日: 2018/07/13
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