えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

『イコライザー2』ネタバレ無し感想:失われた西部劇を求めて

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

殺人術を持つ男の活躍を描いた『イコライザー』の続編。ロバート・マッコールは元CIA特殊工作員で最強の腕だったが、現在は表向きは流しの運転手を営みながら、裏では困っている人々を助けるボランティアのようなことをしている男だ。今回はユダヤ人の老人、イスラムの老女、そして黒人の少年との交流をしながら、殺されたかつての上司の死の真相に迫るうちに自身の過去にも向き合わざるえなくなる。

 

 属にいわれる「ナメてた相手が殺人マシーンでした」の原点にあるのがアラン・ラッド主演の西部劇シェーンだ。一見優男に見えるので無頼の男たちに最初は舐められるが暴力では到底敵わない相手として描かれているからだ。

 

そして『シェーン』の台詞にある「がんばってはみたが、駄目だった……一度人を殺したら後には戻れない」は後のキャラクター作成に多大な影響を与えた。雑にいえば「虚無」だ。この世に本質など存在しないと主張するニヒリズムだ。その影響を色濃く受けているのがクリント・イーストウッド荒野のストレンジャーでありペイルライダーであり許されざる者』なのは誰でも思い浮かぶはずだ。特に前作イコライザーは妻が死んでいる設定や元上司を訪ねるシーンが異常に長いところからも『許されざる者』を相当に意識しているのは確かだ。

 

それに付け加えると前作からの売りでもある「秒で殺す」という設定も西部劇での早撃ち勝負の応用でもある。

 

そして西部劇では対として必ずある抒情的な画で写される山河などの風景はない代わりにここで情緒的に写されるのは都会の夜であり、海辺であり、街の片隅にある住まいの一部だ。つまりイコライザーとは現代の西武劇であり、マッコールはガンマンとして描かれている。ただ正統派でなくイーストウッド西部劇のような傍流に位置する。

 

もちろん違うところもある。まずエロスがまったくないし、それに「虚無」の部分は独自の工夫も施している。「虚無」だけあって敵対する相手には前作同様に震撼させる存在として、親愛する相手には慈愛な存在としてマッコールは描かれている。今作でその間を行き来するのは黒人少年のマイルズとの絡みだ。「震撼と慈愛」というマッコールの「虚無」に向き遭うのがマイルズの役割でもある。「虚無」とはつかみどころがないモノでもあるからだ。

 

だから単純に楽しいアクション映画を期待していたら肩透かしを受けるが、これを現代の西部劇(ただし傍流)として認めるならこの物語もドラマも納得はできるし楽しめるはずだ。

 

もっとも弱点もある。この物語ならブリュッセルでのシーンはまったく要らない -- マッコールの頭の良さを表すだけで設定されているからでもあり、説明的すぎる。-- し、なによりも最近のトレンドに乗ってか「三作目もあります!」を思わせる中継ぎ感溢れる雰囲気も個人としては「なんだかなぁ」だ。

 

しかし、そんなに悪くもないし、やっぱり次もあったら観るのだろうな。という締まりの悪い言葉で終わります。

  


映画『イコライザー2』予告(10月5日公開)

 

 

 

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