ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
ブライアン・ガーフィールド原作『狼よさらば』の映画化であり、かつてチェールズ・ブロンソンが主演した同名小説のリメイク。シカゴのERで働く医療従事者であるポール・カージーは穏やかな性格で妻と娘と仲良く暮らしていた。娘の進学も決まって幸せの絶頂にいた頃、自宅に強盗が押し入り娘は意識不明の昏睡状態に妻は死亡してしまう。いきなりの転落にポールはさまよい、そこから得た気づき、街の犯罪者の処刑を行う。
監督はイーライ・ロス。印象だけでいうなら「手堅い」だ。それ以上思い浮かばない。しかもそのちょっと前に『ルイスと不思議の時計』を観ているので、なおさらそうなる。あの映画も「手堅い」かった。この感覚は今やマーベルを牽引している『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』のルッソ兄弟に近い。無駄が無い。このままキャリアを続ければ、もしかしたらかつての職人監督リチャード・フライシャーの位置につけるかも。
物語は『狼よさらば』の主題から離れている。『狼よ』が自警団だったのに対して、今作では真正面から復讐に焦点が当てられているからだ。この変更は現代アメリカの銃社会への嫌悪があるので、それを逸らしているのだろう。映画の中でも、ガンショップのねーちゃんを通して皮肉たっぷりに描かれているし『狼よ』が「アマチュア刑事」と呼ばれていたのに対して今作は「死神」なのだから、「そのままのリメイクではないよ」と、いう映画からのメッセージでもある。
設定も『狼よ』から大部分が改変されている。その中でも重要なのが『狼よ』のカービーが最初から射撃の素質があったのに対して今作のカービーは素人同然から出発する。
その設定の改変から生まれたドラマは『狼よ』のカービーが「悪党を殺す快楽」とは違った、「己の中に宿る凶暴を開放」を今作のカービーは表しているからだ。最初は下手だった射撃がどんどん上手くなって描写を積み上げる -- 初めはダン、ダン、と撃っていた銃が次にダッ、ダッ、ダッになりクライマックスではダ、ダ、ダッになる。-- ことで、最初は喧嘩が苦手だったカービーが最終的には最も凶暴な牙を隠し持っている男として変化しているのを感覚として受け止める。その変化を分かりやすくするためにヴィンセント・ドノフリオ演じる弟を配役する工夫もしている。
そうして『狼よ』のラストの印象的なあの仕草、つまり「こいつ悪党殺しは止めないだろうな」に対して今作のラストでも同じ仕草で「己の凶暴な牙を開放した男がどこへゆくのか?」の不穏を残して幕を閉じる。単純な「めでたし、めでたし」ではない。
つまり、70年代ヒーローの類型を丁寧に現代に移し替えているのが今作の魅力だ。それを『ダイ・ハード』でそれまでのアクションヒーローを過去のモノにしたブルース・ウィルスが演じている「くすぐり」もある。もちろん、ただの偶然だろうけども……。
あとはネット時代らしいネタとか、ボーリング球ギャグとかの小技が効いていて充分に楽しめました。しかし血みどろは今作が激しいのに『狼よ』よりマイルドな感じで、ゲキ渋いまでは行ってなくて、まぁ、ちょい渋ってやつです。その辺はブロンソンまでには行っていないかも。
Death Wish Trailer #1 (2017) | Movieclips Trailers