ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
バルカン半島に位置するクロアチアのアドリア海で空賊退治の賞金稼ぎをしている男ポルコ・ロッソは自身に豚になる姿の魔法をかけた飛行機乗りだ。幼馴染で未亡人のジーナだけが彼の過去を知っている。ある日、空賊連合に雇われたアメリカ人のカーチスに襲われて愛機が修復不能になってしまう。そこで修理のため、かつて空軍として所属していたイタリアに戻り昔馴染みの飛行機製造工を訪ねると、そこで孫娘のフィオに出会う。
「ラブストーリーは女性が観るもの」という決めつけは何時ごろから始まったのかは判らないが、昔は「男が観るラブストーリー」はたくさんあったし、実は現在でも多く存在する。パッと思い出すのはホアキン・フェニックス主演『her/世界でひとつの彼女』やクリス・プラット主演『パッセンジャー』はどう見てもそうだ。
そしてラブストーリーとは男女と共に恋愛についての葛藤、もっと下品な言い回しをすれば「うじうじ」をどう終わらせるのかが最大の見せ所だ。
『紅の豚』も「男のラブストーリー」だ。そこで「うじうじ」はどう描かれたかというと主人公をポルコを豚の姿にしたところだ。彼は腕の良い飛行機乗りではあるが、恋愛に関しては文字通り臆病者なのだ。「自分に豚になる魔法をかけた」とはそうゆう意味でしかない。『となりのトトロ 』で闇を暗喩ではなく、まっくろくろすけ(ススワタリ)というキャラデザインで表現したのと同じ様にポルコの臆病を豚でキャラデザインしただけなのだ。
相手はもちろん幼馴染のジーナだ。幼いころからジーナに対して淡い思いを抱いているのは回想シーンでちゃんと描いている。そうならなかったのは想像だが、告白したのが友人が先でポルコがそれを譲ったからでもあり。その友人が先に死んで自分が生き乗っているところからくる自責の念という負い目が豚の姿という「うじうじ」として表現されている。ジーナの心はもう決まっているのに。
ようするに、このドラマは結ばれなかった男の心が止まった様子だけを描いているだけなのだ。
その「うじうじ」を吹き飛ばすのが腕の良い飛行機製造工でありイタリア娘のフィオと、腕が良い飛行機乗りでありアメリカ野郎のカーチスだ。この二人の余所者の登場でポルコを新たに変える。まさしく優秀な「純真と単純」が彼を変える。ポルコの人間の姿を見たのがこの二人だけなのはそうゆう事だ。
ここで気が付いただろうが、ポルコ・ロッソは表向きはどうであれ宮崎駿のキャラクターではアシタカや堀越二郎どころかもしかしたらパズーよりも軟弱なキャラかもしれないというところだ。どうも宮崎キャラらしくない。
そんな設定になったのは宮崎自身の言う通り、設定された舞台が制作時に国が分裂するというユーゴ紛争が起こったからだ。日頃から政治的な歯に衣を着せずに発言もするし、進歩的知識人であり作家堀田善衛の反骨精神を尊敬している宮崎にとっては悩ましい事になったのは誰にでも察せるはずだ。「楽しいだけでは駄目」なのだと。おそらく当初はテレビアニメ『名探偵ホームズ』を思い出させる様な底抜けに明るい場面だけだったのかも。-- 最初は短編としての企画だった。-- しかしそうはならなかった。
そうゆう意味では『紅の豚』は宮崎駿の政治活動家である部分と朝鮮戦争以前の丸っこいメカ大好きな部分の両極端が、なんの咀嚼もなしにドカッと出されている自身が認めている失敗作なのだが、その失敗から宮崎駿の「本質」が見える作品でもあるのだ。
参考
Kurenai no buta (1992) - Trivia - IMDb
100てんランド・アニメコレクション ルパン三世カリオストロの城
Porco Rosso - Official Trailer