ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
明けましておめでとうございます。
ここの映画ブログの主である、ユーセ コーイチでございます。
本年もよろしくお願いいたします。
自分はメカとモンスター映画が大好物な人間であり、苦手なのは感動的な実話の映画であります。悲惨な実話。笑える実話なら大丈夫ですが、感動の実話の映画化なんて、もう最初から勝てる試合みたいなものじゃないですか。スリルがありません。だから、感動の実話には厳しめであります。そうゆう人間です。
そうゆう人間が、今回は趣向を変えて映画の予告、いわゆるウソ予告について書いてみたいと思います。
劇場やテレビCMやネットで予告を観て「面白そうだな」と期待して観に行ったら、予告で感じた印象と違っていた。なんてことありますよね……ありますよね!
事実、予告では編集で操作していたり、字幕(吹替)すら変えて印象を良くしようとしていて、肝心の内容とズレているモノも多くあります。もっと作品本来の情報を予告に入れてほしいと感じることがあるでしょう。
そう思ってしまうのは、仕方がないですが、現代は映画に限らずアートでも金儲けビジネスとして成立していなければ生きていられません。集客が評価です。露を喰って生きられるのは自分の知る限りシン・ゴジラくらいのもので、例外はありません。だから仕方がない事なのかもしれません。
ちなみに自分は海外だと原題と日本版でない予告を動画で観て、それでもピンとこなければIMDbかRotten Tomatoesの評価で期待の程度を測る事があります。邦画だとKINENOTEかJMDB(日本映画データベース)でスタッフやキャストの作品歴を検索してソレをします。これは自分のアイディアではなく友人の知恵のおかげです。それを知ってから適度な期待を保てるようになりました。
しかし、期待とかなりズレていたら「期待していたのと違っていた」になり、作品の評価そのものに繋がる惧れはあります。現在の予告が正しい姿なのか、それとも観客を増やすどころか減らす方に向いているのかの判断は難しいところです。
でも、自分は難しい話は苦手なので、それとは別にして今回はウソ予告についての考えを思い出込みで自分なりに語ってみたいと思います。それは映画ファン以外の人々をどうやって劇場へと誘い込むのかの思い出話になります。
ウソ予告の源流にあるのは、原作 司馬遼太郎、監督 篠田正浩の『梟の城』(1999) からになると自分は考えています。
司馬遼太郎は云われるまでもなく『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』で名を知られた国民的作家であり、篠田正浩はコアな映画ファンなら大島渚や吉田喜重などの松竹ヌーヴェルヴァーグのひとりである。と指摘するわけですが、自分はそれにはあまりピンとこず、どちらかといえば藤子不二雄Ⓐのマンガを映画化した『少年時代』(1990) や特撮ファンにはクライマックスが今でも語り継がれている幻の映画『夜叉ヶ池』(1979) を撮った監督として憶えています。
その篠田監督がVFXを駆使して撮ったのが司馬作品でも初期の『梟の城』なのです。お話は「ある忍者が太閤豊臣秀吉を暗殺しようとする」筋書きで、予告も期待感を高めるように作られていました。
🎬 Замок совы. Fukuro no shiro. Owl's Castle (1999) Official Trailer ☯
これは劇場の予告ではなくテレビとレンタルビデオにあった予告ですが、「なんかスゲー面白そうだ」と思って観に行くでしょ?……その期待は見事に裏切られます。
元々、篠田監督がやろうとしていたのは舞台となる安土桃山時代の再現であって「忍者の秀吉暗殺」は観客を作品にひきずり込む方便にすぎません。つまりドラマ用語でいうマクガフィンなのです。しかし、この予告を観る限りそうとは気づかない。誰もが「騙された!」と感じるはずです。
この予告を制作したのが株式会社ガル・エンタープライズ。映画予告篇制作会社の老舗でもあります。現在の映画予告はそうした専門の会社が作ったのが多く、本体とは違うひとつの「作品」と言ってよいでしょう。
そういった無関心な人にも興味を持たせる予告が、どこからはじまったかというと角川春樹がはじめた角川映画の『人間の証明』(1977) からになりますが、その前に『人間の証明』以前の映画の劇場予告はどんな風だったのかを知っておきたいという一例で『新幹線大爆破』(1975) の予告動画を挙げておきます。この作品を選んだのは特に意味はなく、監督が同じ佐藤純也であることと、自分の趣味です。
デッカイ文字に「こんなことが事件が起こっているんだぞ!」とか出演するスターを大アピールして的確に楽しめるポイントをアピールしていますが、ド派手で説明的な印象があります。素材も『新幹線大爆破』とは関係がないものが入っています。自分は気にならないですが、クドくてお洒落とは見えないことも確かです。それは当時の予告が広告のスキルをもった専門の会社ではなく映画会社の助監督と編集の助手が作っていたからでしょう。
ハリウッド映画に憧れていた角川春樹はこうした日本映画の予告をどうにか変えたい。と考えていました。「映画を作って本を売る」というメディアミックスの展開には購買欲をそそる予告が必要で、それには説明的ではないキャッチーさが必要だからでしょう。だから、『人間の証明』は映画会社ではなく、映画予告業(ガル・エンタープライズ)に依頼して作ったのが『人間の証明』です。
『新幹線大爆破』と比べて『人間の証明』はグラフィカルでお洒落感が増しているのがすぐに分かります。ちなみに内容そのものはミステリーとニューヨークロケの壮大さに反して昔ながらの「母もの映画」なのですが、『人間の証明』はその年のヒット作になり、映画予告業によってそうしたモノが徐々に増えてゆくにつれ映画の興行収入も良くなってゆき、邦画や洋画も昔ながらの説明的な映画予告は減って、やがてキャッチーな予告が優先されて行くのです。
参考
映画の予告って誰が作ってるの?予告編制作会社とは - NAVER まとめ
巨匠・相澤雅人さんが語る、映画予告編ディレクターの仕事とは (1) 理想の映画予告編とはどんなものか? | マイナビニュース
https://info.linkclub.or.jp/nl/2000_04/tanken.html