ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
グラミー賞を5度受賞した世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンの半生を映画化。イギリス郊外の町に住む少年レジナルド(レジー)・ドワイトは、両親の愛を得られずに育った。そんな彼が才能を発揮したのは音楽。クラシックからロックに傾倒し、ミュージシャンになる決意をして「エルトン・ジョン」と名乗り、盟友である作詞家バーニーと出会ったエルトンは大ヒットを飛ばして成功への階段へと駆け上がっていくが、やがて愛されなかった過去と秘密が彼自身を蝕みはじめる。
デクスター・フレッチャー監督
先にジャンル分けすると、この映画は主役のエルトン・ジョンの半生を描いているしミュージカルであると同時に喜劇にもなっている。オープニングから違和感で笑わせたり、ラストの締めがまた笑いでだったりで、どう見ても喜劇だ。
喜劇でピンとこないなら滑稽劇のバーレスクであり、エルトン・ジョンの「魂(心)のストリップショー」だと思ってもいい。何しろ最後に「心のパンツ」を脱いで「どーだー!見ろー!!」とスッポンポンをやっているのだから。
エルトンがお手本にしたのはおそらくフェデリコ・フェリーニの『8 1/2』だろう。クライマックスからエンドロールの流れでそう連想しただけなのだけれども、あの映画だってフェリーニ監督の頭の中のストリップショーを見ている感覚なのだから、そんなに違わないのかもしれない。
それなら、もっともっとぶっ飛んでもいいと思うのだが、監督はエルトンではなく(エルトンは製作総指揮) 『ボヘミアン・ラプソディ』で降板されたブライアン・シンガーに代わって後任したデクスター・フレッチャーなので、観客に分かりやすくベタな設定&演出がなされている。少し上げると……
〇 主人公を間違った道へと導く人物がいる。
〇 主人公はドンドンとそれにのめり込んでゆく。
〇 孤独を表現するために豪邸を使う。
〇 どん底に落ちた主人公を救おうとする昔からの人物がいる。
〇 その人物の助言を聞き入れて立ち直る。
等々と、感動の展開で紡いでいるから、エルトンの「魂のストリップショー」と祖語が起きている。フレディの死と ライヴエイドというゴールがあった『ボヘミヤン』と比べて、この映画はゴールのない物語なのにだ。-- 余談だが、この映画を観ておくと『ボヘミヤン』のどこがフレッチャーが関わったのが分かる楽しみもある。
だから、その感動の落し処である「孤独に堕ちた男が、一番に嫌いだったのは自分」であり、それを受け入れる部分に物足りなさを感じるかもしれないが、「魂のストリップショー」だけあって監督はしてないけど、エルトンの個人的な映画なのは感じる。
つまりミュージカル仕立てで派手には見えるんだけれども、本質はエルトンの内面を描いた小さなドラマで、繰り返しになるが、同じく小さいけど、はっちゃけてぶっ飛んだモノにした『8 1/2』のようにすればよかったのにとは思う。ミュージカルで喜劇なんだし。
でも、これとは別にして個人的にはそんなにノレなかった。これは映画の出来ではなく自分のエルトン・ジョンに対するイメージからきている。自分にとってのエルトンとは純粋なアーティストというよりもコメディ(日本の桑田佳祐とかサンプラザ中野くん的な)なイメージだったから。だから映画を観てるとゲラゲラと笑っていた、あの時の自分を思い出してちょとした自己嫌悪に陥って純粋に楽しめなかった。
自分のその辺の感情もまだ生乾き状態で終わります。
Rocketman (2019) - Official Trailer - Paramount Pictures