えいざつき ~映画ポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。映画、SFが多めです。そして妄想が暴走してポエムになります。

【ネタバレ有】マリアの物語『ターミネーター:ニュー・フェイト』

お題「最近見た映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

『ターミーネーター』シリーズの系列をなす作品であり、実質前作の『T2』の続編。人類滅亡の日である「審判の日」は回避された歴史で、メキシコシティで父と弟とごく普通の生活を送っていた女性ダニー(ダニエラ)のもとに、未来から最新型ターミネーター<REV-9>が現れ彼女の命を狙う。一方、同じく未来からやってきた女戦士グレースが彼女を守るためにREV-9と壮絶な戦いを繰り広げるが、かつてのタイプとは違うREV-9の能力に追いつめられてゆく。絶体絶命の中、そこにかつて人類滅亡の未来を救ったサラ・コナーが現れるのだが……。

ティム・ミラー監督

 

注意:今回は内容に踏み込んだ言及があります。純粋に作品を楽しみたい方には、お薦めできません。

 

ばばあ最高!

 

自分の気持ちは書いたので、ここからは真面目モードにいきたい。

 

遠慮のない物言いをすれば、自分は『T2』は実は傑作だとは思っていないし、今では若干の不満さえもっている。確かにはじめて観たときは大興奮した。しかし、数年後に観直したら、ある「部分」に引っ掛かりを感じて不満を抱いてしまったのだ。

 

それはともかく『T2』は確かに観ている間は退屈しないし、評価を〇か✕の二者択一でいえば〇を選択するが、結局のところ内容は『T1』の焼き直しでしかないからだ。だから「『ニュー・フェイト』が、『T2』の二次創作」との批判には「そりゃ『T2』が『T1』の二次創作だから」の感想しかない。

 

ただ、自分としてはそこに不満はない。むしろ「自分の作品(シリーズ)から再利用して何か悪いか?」とさえ考えている。だから不満は別にある。不満とは『T2』がキリスト系、特に宗教右派の溜飲が下がる内容になっているからだ。「最後の審判」の単語どおり救世主、つまりジョン・コナーが表れて、他の人々を導いてゆく宗教的な流れに気がついたら急に白けたわけだ。

 

右派といっても、特殊な存在ではない。そのところどごろの日常的な慣習に従っている人々のことでもあるからだ、何なら保守層と言ってもよい。日本なら、正月には初詣で神社に参拝する慣習に従う人々のことであり、もちろん自分もそうだ。しかし違うのはアメリカの保守の基盤はキリスト教にあるとろだ。

 

後に自分の感情を裏付けてくれたのが、コラムニスト・映画評論家の町山智浩の話だ。ジョン・コナー(John Connor)はそのイニシャルがイエス・キリスト(Jesus Christ)と同じになっている。と指摘して、そこからキャメロンは始めからジョン・コナーに救世主(イエス・キリスト)としてのイメージを重ねていた。という推察が正しければ、それは「最後の審判で選ばれるのは敬虔な自分たち」と考えていてキリストの可視的再臨を望んでいる者たちにとって『T2』のドラマは心地がよいことにしかない。しかし、それはあくまでもキリスト教であって、それ以外の宗教は排除される。ということでもある。少なくとも浄土真宗を信仰している自分は排除されるのは確実だ。

 

『T2』公開当時は、まだまだ続きがありそうな雰囲気だったので、この先につづきがあっても自分としては大きく感情が盛り上がることはなさそうだとも、その時には思っていた。ところが、『T3』、『T4』、『ジェネシス』-- ちなみに以降だど自分は『T4』が好き -- シリーズを続けてゆくのに意外にも、、実は誰もが溜飲が下がるようになる救世主ジョン・コナーが魅力的に描けない「ジョン・コナーの取り扱い問題」が生じてしまい。不評つづきになってしまう事態になり、膠着状態に陥る。枝葉末節も色々あるが、本質としてはそうだ。

 

そこで、『ニュー・フェイト』はいきなり方向転換をした。初っ端からジョン・コナーを殺したのだ。つまり、「ジョン・コナー=救世主(キリスト)」の路線は消滅したのだ。代わりに浮上したのは、「ダニー=マリア」として路線だ。

 

マリア。といってもキリストを生んだ聖母マリアではなく、原始信仰と結びつき、かつ神への媒介者ではなく、直接的に崇拝する、マリア崇拝(信仰)のとしての存在だ。もちろんこれは反キリスト的な行為になる。ようするにダニーはジョン・コナーとは違う反キリストとしてのリーダーで『ニュー・フェイト』では定義づけられたのだ。

 

しかも、設定上ダニーはヒスパニックであり、それを白人であり金髪碧眼の女戦士グレースが忠誠心というよりも恋愛感情にも似た崇拝 -- だからマリア崇拝 -- でREV-9の魔の手からけなげに守り抜く展開は、アメリカではマイノリティといわれている人々の人口が将来的に白人を超える予想から考えられたのは想像できる。

 

そして、スカイネットに代わる新しい敵リージョンは、ただ人類をつぶすのではなく、互いに争わせることで利益を得る戦略をとっている。これは現在、権力者の政策と一部保守(正統保守というよりも、どこかカルト化した)の扇動による各層の分断化を示唆しているのは明白だ。そして、そうした流れに対抗できるのは、それぞれの立場と感情を超えた連帯だけで。それが、『ニュー・フェイト』ではダニーの演説を通して描かれる。

 

そこで、ここでのサラ・コナーの役割はジョン・コナーを生んだ「聖母マリア」として、ダニーへと新たな橋渡しをするためだけではなく、ジョンを殺したターミネーター(T-101)のその後の、心の芽生えと変化。-- 機械のままならメールなどしない -- を見せつつ、彼との憎しみを超えた、まさに恩讐というべき感情で描かれる。そうしなければ連帯などなし得ないからだ。

 

そうした、今日的な問題を娯楽として提供したのが、この『ニュー・フェイト』で、当初は三部作の構想だっだらしいのだが、興行収入の悪さで、その路線もどうやら消滅しそうらしい。キャメロンが参加してもこうなら、もはやジョン・コナーの取り扱いは「問題」なのではなく「呪い」のレベルまで達しているとまで考えてしまう。

 

とは、いえ。そんなに難しく感じているのは自分だけだろうし、アクション映画としてシンプルな面白さもちゃんともっている。ティム・ミラー監督は最初はキャメロン風のアクションシーンで繋げつつも後半になると監督らしく飛んだりスローモーションの描写を入れたりなど、色々と小技を利かせて最後まで楽しませてもくれる。

 

娯楽としては面白いのだ。問題はターミネーターの続編だったというだけなのだから。

  


Terminator: Dark Fate - Official Trailer (2019) - Paramount Pictures

 

 

Dark Fate

Dark Fate

 

 

 

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