ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
大ヒットアニメ『アナと雪の女王』の続編。前作で雪と氷に覆われたアレンデール王国に陽光を取り戻し、深い絆で結ばれた姉エルサと妹アナ。氷や雪を操る魔法の力を持つ「ありのままの自分」を受け入れたエルサと、明るさが持ち前のアナは、仲間たちと幸せな毎日を過ごしていた。そんなある日、エルサにしか聞こえない不思議な歌声からはじまった王国の危機が、姉妹の新たなる試練の旅へと導かれる。それは、エルサの魔法の秘密を解き明かす冒険のはじまりでもあった。
注意:今回は若干、内容に言及します。純粋にこの映画を楽しみたい方には、ご遠慮くださるようお願いします。
又聞きの類の話題からはじまるが、『天気の子』を作った新海誠監督が海外のインタビューでよくされる質問が、環境問題についてであり、日本ではそんな質問はない。と言いおよぶ話を聞いた。自分は『天気の子』青春ドラマとして見たが、そのインタビューも分かる気がする。昨今の先進国の指導者層・知識層は環境正義を念頭に置かなければ指示を失いかねない状況では、そうした質問も当然だからだ。
環境正義(environmental justice)とはimdasによると、環境の保全・保護と社会的正義とを結びつける概念。いわば環境面での公正・公平を意味する。ものであり、環境汚染や環境破壊の被害が「人種差別」の結果として不平等なかたちでもたらされる事態の環境レイシズムを認めて、それを克服する考え方を指す。これが、環境正義だ。
そして環境正義は「弱いものを抑圧している」という観点で、男性による自然支配が女性支配とが同じ根をもつと想定し、男性による女性支配の解消が自然破壊の抑止に貢献すると主張する、エコ・フェニミズムにも通じるところがあり、そして当然フェニミズムにも通じて、前作『アナ雪』にも通じている。
そして、今作の『アナ雪2』の背景には、この環境正義への命題とその解決方法(方向性)がドラマの柱になっていると自分はみている。
ここで、ピンときた人もいるだろうが、『アナ雪2』のラスボス的な存在であるエルサとアナの祖父がやった「精霊の力を弱める」とはズバリ環境破壊そのものなのだ。精霊=自然でそれは容易に連想できる。その目的は精霊と通じているノーサルドラ人を、環境破壊で少数民族を抑圧する行為だと見立てればすんなりと筋は通るし、-- もっと残忍な言葉でいえば、祖父がやろうとしたのは「環境破壊による民族の生活基盤の破壊であり、そこから次に来るであろうアレンデールへの同化政策でもあり、それは緩やかな民族浄化」だ。-- 森が雲で覆われたのは、祖父の企てに気が付いた四つの精霊が、そうはさせまいと封じ込めた事でもある。そこで今作のエルサとアナが立ち向かうのは、自分たちとは関係ない過去の「過ち」になる。
関係ない。と先に書いたが、実は現在の幸せな生活があるのは、それがあるからだ。これは、先進国が後進国を踏み台にして豊かになっていった構図と同じでもある。つまり、豊かな人々は他国の自然を破壊して貧しい人々を作っていった現実と、どう向き合い、これからどのようにしてゆくべきかを環境正義の観点から『アナ雪2』はメッセージとして打ち出す。
その解決方法(方向性)だが、これも映画を観た人なら誰でも察しがつくように、過去の過ちは「今できること」としてアナがダムを破壊して精霊の怒りを解いて、つまりは過ちを認めることで、雲を晴らしノーサルドラ人を解放したことで収束し、最終的にはエルサが第五の精霊となりアナが女王になったことで、人が「自然と共生」する形になり共に歩んでゆくことが示される。
とまぁ、本来なら硬派な社会派ドラマとして作られるべき題材を、ここまで真正面から誰もが(子供も)観れる娯楽のファミリー向け映画として作ったことに驚いてもいるし『天気の子』が環境問題の収束として少年少女の恋愛に落とし込んで(と、そう見られているのだろう)のに対して、やはり欧米では政治の問題とも絡めて描かないといけない。という今のディズニーの強い意志も感じた、いかにも現代的な作品でした。
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