えいざつき ~元映画ブログだったポエマーの戯言~

批評というよりも、それで思い出した事を書きます。そして妄想が暴走してポエムになります。

【ネタバレ無】ネット世代の美『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形』

お題「ゆっくり見たい映画」

ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]

 

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www.imdb.com

 

戦争終結後、大切な人が最後に放った言葉「愛してる」の意味を知るため、自動手記人形として働き始めた元兵士のヴァイオレット・エヴァーガーデン。ある日、一通の手紙を見つけた彼女は、良家の子供のみが入学を許される女学校へと赴く。自身の将来を悲観している少女イザベラ・ヨークと出会い、ヴァイオレットはイザベラの教育係を務めることになる。

Movie Walkerより引用

  

藤田春香監督

 

◆はじめに

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 永遠と自動手記人形』(以下、『外伝』と略)は。さすがに京都アニメーションだけあって作画は見惚れるくらいに美しいのだが、話の方が個人的にはついてゆけなかった。昔ながらのお涙頂戴モノなのだ。

 

なので、前回の『劇場版 AIR』と同様に『外伝』を取り上げたのは今回の主旨である……

 

京都アニメーション(いか、京アニ と略)どうしてアニメファンから絶大な支持を受けているのか?を 語るために使わせてもらうことにした。

 

今の京アニにおけるアニメファンの評価の多くは「豊かな表現力を感じる」であり、具体的には「確かな画面構成と髪の毛一本までもこだわる作画テクニック」だ。『外伝』の評価が高いのもそんな側面がある。

 

しかし、細かな作画アニメなら京アニ作品以前から存在はした。1984年『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』や2001年『吸血鬼ハンターD』など他にも多々があり、今でも古参のファンなら語り草になるくらいに評価はある。(画像は『劇場版マクロス』と『吸血鬼ハンターD』)

 

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ーー しかも、1990年代から2010年代あたりといえば、美少女を題材にしたゲームが隆盛の時期でもあるので、その手のキャラクターが量産された時期でもあるのだ。-- 

 

それにも関わらず、『マクロス』と『吸血鬼ハンターD』の2作は現在のアニメファンには、あまり見向きもされていない。これをファン間の断絶と解釈してもよいが、自分としては京アニ作品が現在において評価が高いのはある「運」に恵まれたからだと思っている。

 

だから今回はドラマ論や技術的なものではなく、あまり語られない時の「運」について自分の考え(妄想)を語ってみたい。

 

そこで、論旨を進める前にふたつの事柄を前提として進める。一つ目は……

 

「神は細部に宿る」という格言だ。ここでいう「神」とは「美」と置き換えてもよい。ドイツ出身の建築家、ミース・ファン・デル・ローエ、同じくドイツの美術史家、アビ・ヴァールブルク、英国のエルンスト・ゴンブリッチ等が世に定着した考え方で、その意味は「細かくこだわった細部こそが作品の本質を決める」といったものだ。そして、二つ目は……

 

細部にこだわるオタクという存在だ。ここでいうオタクとはアニメやマンガだけでなく、映画や鉄道など、その他モロモロでいわゆるディープな見方、楽しみ方をする人々を指す。いまなお人気が高いバラエティ番組『タモリ倶楽部』に出てくる常人には理解されにくい趣味をもった人々のことだ。理解されにくいとは、つまり普通なら見逃したり素通りしてしまうところに興味がゆくからであり、それを一言でいえば細部になる。

 

さて、前提は見せたので本旨に入る。

 

◆ネットの時代

世間が京アニ作品の存在に気が付いたのは2006年に放送されたテレビアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』と同じくテレビアニメ2007年の『らき☆すた』だ。もう少し詳しく書くと『涼宮ハルヒ』のエンディングテーマ『ハレ晴レユカイ』と『らき☆すた』のオープニングテーマ『もってけ! セーラーふく』だ。2曲ともその時のオリコン5位以内に躍り出た。

 


「ハレ晴レユカイ」TV版スペシャルED

 


[HD] らき☆すた 完全ノンテロップ オープニング

 

アニメ主題歌でも、従来のアーティスト(歌手)ではなく、声を当てている声優が歌ったこれらがヒットチャートに入ったのは当時の社会状況が背景にある。その時の日本経済は物価が持続的に下落してゆくデフレーションの状態にあって、誰もが買い控えするデフレマインドに包まれた時期だったからだ。それなのにもかかわらず好きな物に金を出して買ってゆく人々がいた。それがオタクだ。状況がどうであれ彼等がいつもそうして来たことが偶然にも突出して現れたのがこの2曲のヒットだった。

 

それならば、どうしてこの2曲、というよりも2作品がオタクに熱狂的に好まれたのか?単純な答えは「カワイイ女の子が踊ったから」。だろうが、当然ながら、これは答えにはなっていない。前述したとおり、その時には美少女モノが溢れていたからだ。つまり、2作の熱狂には美少女になんらかのプラスαがついている。と考えるのが道理だ。

 

そして自分が考えるプラスαとはインターネットの高速化とペイントツールの豊富さにあると考える。1990年頃といえば、光通信も一般には普及してはなく、ペイントソフトもPhotoshopPainterなど、数えるほどしかなく、イラストの下絵もまずはスキャナーで取り込んで描く、という手順が必要だったが、2000年頃になると光通信も一般に普及しはじめてスキャナーに取り込まないで直接描ける液晶タブレットも出始めた。もちろんペイントソフトも種類が増えてくる。

 

そして発表の場もWebや掲示板ではなくSNSで出来るようになった。そこで何が起こったのかといえば2000年代からイラストに対する受け手側のリテラシーが急速に向上した。

 

ここでいうリテラシーとは文章に対する「何らかのカタチで表現されたものを適切に理解・解釈・分析し、改めて記述・表現する」の意味をそのままイラストへと転用したものだ、文章を書けば書くほど技能は上がり、そんな文章を読めば読むほど読解力は上がる。2000年からのイラストの美麗さ細密さの向上化がイラストを眺めて楽しむ側にも「イラストの読解力を高めた」。そこに登場したのが『ハルヒ』であり、『らき☆すた』の京アニ作品なのだ。

 

ーー そこにもう少しだけ付け加えると、『マクロス』などの以前の絵のタッチは、やはり紙とセルロイドという画材を基盤にして成立していたが、デジタルデバイスという画材の明度や彩色の自由さの感覚を知ったオタクたちにとって京アニ作品群は心地よいものを感じているのかもしれない -- 

 

つまり、インターネットで描かれている、いわゆるネット絵師たちのイラストの絵がそのままアニメとして動く感覚を、あの時のオタクは感じたのだ。美少女が踊ったから感動したのではなく、美少女たちが踊る細かさに感動したともいえる。これが自分が考えるプラスαであり、時の「運」だ。

 

それを裏付けるのが『MUNTOシリーズ』の失敗だ。物語が解りづらい弱点もそうだが、あの作品はアニメに当然ある動画の楽しさは存分にあった。だが、「ネットで描かれているイラストが動きだすような」美しは感じられないからだ。オタクたちのリテラシーを刺激しなかったのだ。

 

そして、それはオリジナルコンテンツを必要としていた京アニも理解して反省もしたのだろう。たから京都アニメーション大賞を創設して、自社のスキルとリテラシーが高いファンとの共通項を摸索して生まれたのが『中二病でも恋がしたい!』であり『ツルネ -風舞高校弓道部-』でもあり、そして、今作の『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』なのだから。

 

しかし、この幸福な時期がしばらく続くのか、それともいつかは忘れ去られててしまうのかははっきりいって分からない。『マクロス』の頃の絵のタッチが今となっては使われなくなったように京アニ作品のタッチもそうなる可能性もあるからだ。

 

◆おわりに

さて、今回でアニメ映画についての語りは終了。これからは元の映画ブログに戻ります。

 

参考

なぜ京アニ作品には「実在感」が宿るのか? 歴代ヒット作から読み解く“3つの秘密” | 文春オンライン

虎硬 (著):ネット絵史 インターネットはイラストの何を変えた? (日本語) 単行本

 


アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』新作劇場版告知PV

 

 

  

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