ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
かくもおそろしきかな、伝統。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
そして、今回は
『儀式』
そして、今回のキーワードは。
セカイ系としてのオオシマその1!
今回はネタバレはないけど、小難しいよ。
大島渚で、自分が真っ先に思いだすのは『戦メリ』こと『戦場のメリークリスマス』でも、ハードコアポルノ『愛のコリーダ』でもなく、『御法度』の監督作でもなくて、深夜討論番組であり長寿番組でもある『朝まで生テレビ!』での、バカヤロー!的なパフォーマンスだ。司会進行の田原総一朗によると「大島が怒り出すのは討論が停滞して、視聴者が退屈しはじめた頃に怒り出す」という話を聞いて、さすが時間の彫刻者てある映画監督らしい。と妙な感心した思い出がある。もっとも出典が思い出せないのでウソ記憶なのかもしれないが……。
そんな、ウソ記憶かもしれないアヤフヤな話とは別に、今でも憶えているのはテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』での難解さがアニメファンだけでなくサブカルチャー界隈で注目の的だった時期に、亡くなった親友から「あれ(エヴァ旧劇)は大島渚の『儀式』をSF風に仕立て上げた作品」だと論評したので、タイミングとしてあっていたので名画座で観たのだが、感想を簡単にまとめると「不条理劇」だった。どうやら親友はキャラクターの類似で −− 例えば碇ゲンドウは佐藤慶が演じる桜田一臣で、碇シンジは河原崎健三が演じる桜田満州男で、小山明子が演じる桜田節子が葛城ミサトで中村敦夫が演じるのが立花輝道が渚カヲルで -- そう指定して、自分にこの作品を観るように仕向けたらしい。つまり上手く乗せられたのだ。しかし、今再び今作を観直して感じるのは、覚えば、あの時に大島渚と『エヴァ』と関連づけた親友の発言はそんなに的外れでもなかった気がしてきたからだ。
大島渚作品こそいわゆるオタク関連でよく論評されるセカイ系の源流ではないのか?と最近は考えてしまうからだ。-- ただ、原点ではなく、源流と記したのはセカイ系にはあとひとつの要素である小説家中上健次の作品も影響を与えていると感じてもいるから。
だから、不定期的に3作品ピックアップして、オタク&セカイ系の視点から大島作品を語ってみたい。
もちろん今作『儀式』は誰もが評するとおり、日本の伝統的な家父長制・大家族制が敗戦での戦後新体制でもまれつつ、その醜悪さを高度な抽象として描いてゆくのだが、そのつづり方が葬式、結婚式、法事、何回忌と冠婚葬祭がシーンの中心であり、登場人物も、旧い因習に従うもの、日本共産党にかぶれたもの、中国共産党に染まってしまったもの、極右に(どう見ても作家三島由紀夫が率いていた楯の会)に走るものとして極端に戯画化して表れて、これまた戯画化された冠婚葬祭の連続で描写されてくるので、まるで脂身のないステーキ肉を食わされている気分になるのだ。
そんな脂身のないステーキ肉が最後まで食べられるのは美術の戸田重昌による仕事と桜田家の中心に鎮座する家長である桜田一臣演じている佐藤慶の存在感のおかげだ。(画像はimdb)
そして、忘れてはならないのが、桜田しづを演じている音羽信子。「通夜と処女」の台詞などの絶妙な登場の仕方は通常のドラマなら潤滑油としてのユーモアを与える役として機能しているはずだが、もちろんそれはユーモアからは真逆だ。
この極端・極度に戯画化された不条理劇は大島渚の教養が大きいのは間違いないし、そして、今作の手法が「キミとボク」との極端な設定でよく使われるセカイ系の源流なのは気の回しすぎだろうか?
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