ここでは題名と名称を恣意的に表記します。[敬称略]
今日のポエム
世のためでもなく、哲学でもなく、美でもない。
映画とはポエムです!ポエムとは映画でもあります。それでは大いにポエムちゃいましょう!
今回は ……
そして、キーワードは。
マッチョをみつめて!
今作は公開当時に物議を醸した。実在した女性記者がセックスでFBI捜査官から情報を引き出したシーンが事実無根であるとして彼女が所属していた日刊誌(新聞)が監督と配給会社に抗議と訂正を要求した経緯だ。
でもまぁ、熱狂的ではないほどのイーストウッド作品を長い間付き合ってきた気持ちがある自分としては、イーストウッドがやりたかった事は、この実話を批判として描くことでもなく、また何らかのメッセージを発する事でもないのは公開当時に観た瞬間にすぐに分かったので、その感情を書こうと思ったが、当時の勢いに……ビビった。
そこで、途中まで書いていたのを寝かしたままにしていたのだが、さすがに酸っぱくなってきたので、もう収まったかな。と思い、書き直してひっそりとアップをすることに。
でも、イーストウッド作品について自分が書くのはいつも同じ事の繰り返しになる。つまり、その作品ごとの主人公の中にあるマッチョ(男らしさ)描いている。この人の作品はだいたいがそうだ。そして今作だと、それはもちろんリチャード・ジュエルになる。
ただ、マッチョといえば、誰もがすぐに思い出すのは「強靭さ、逞しさ、攻撃性」だろうが、イーストウッドの描くマッチョはそんな表面的なモノではなくてもっと根源的な何かだ。そうゆう意味では、彼は「マッチョとは何なのか?」、それを探し、それのみを見つめてきて来たところがある。そうゆう一般には理解不能なモチーフを取り上げているので、いわゆる世間とは背を向けてきたところもあるのだが、そんな彼が唯一、世間とコミュニケーション(と、イーストウッド本人が思っている)ができたのは、彼自身が映画スターであり、アクションスターでもあったからに他ならない。(画像はimdb)
そして、現在の作品は、自らの肉体の限界からアクションを捨てた彼が次にたどり着いて選んだ題材が「実話」だった。それで世間とコミュニケーションを(と、イーストウッド本人は思っている)しているのだ。だから、この辺りの作品群に社会的な何かを見出すのは、ハッキリ言って無意味だ。
個人的な話をすると『ハドソン川の奇跡』の後、その実話との相違点「事故調査委員会の厳しい調べなどなかった」のエピソードを知って。しばらくして自分はイーストウッド作品について考え違いをしていたのに気がついた。自分は彼とその作品群は娯楽に位置しているものと思っていたのだが、実は彼の作品は、どちらかといえば純文学なのだと。
イーストウッド作品は主人公の心情とそれをつついていじくる描写をよくやるが、それは『失われた時を求めて』のマルセル・プルーストや『悲しみよこんにちは』のフランソワーズ・サガンの心理小説と同じ手法なのだと。彼の作品がアメリカよりもフランスで高い評価をされたのはそのあたりだろう。フランスのインテリの教養を刺激した訳だ。-- そしてそれは、私小説の国である日本のインテリにも当然の如くそれは当てはまる……。
心理小説とはフランスで発達した小説の形態で人間の微妙な心理を簡素な文体で記述するのが特徴だ。イーストウッド作品とまったく同じではないか。
だから、FBIによるプロファイリングによる誤認捜査とか、女性記者の取材の正否とか、異常なマスコミの取材合戦とかは、あくまでも主人公であるリチャードの心情をいじるだけのために必要なだけであって、そこに批判なぞないのだ。
それらはすべて、リチャードという男に潜むマッチョという結晶を見たいがためにやっているのだから。
これが今作の感想だ。書いてみるとワンパターンでつまらない。
でも、イーストウッド作品なら次もやるだろう。
劇場&DVDで鑑賞。
RICHARD JEWELL - Official Trailer [HD]